ジャズ喫茶の思い出

学生時代は映画館からジャズ喫茶へと暗闇のはしごを続けていました。1970年代はジャズ喫茶がたくさんあって、老舗は東映パレス(これもなくなりました)地下にあったJamaica、少しニュージャズ的なact、聞きやすいジャズが中心のA&M、Bossaなど。北18条にはGroove 、24条方面にはAyler,など。
 僕はインテリアもお洒落なactに専ら通っていました。坂井さん兄弟が店主で、弟さんは新宿のDugで修業したと言う事でした。4ビート中心のJamaicaとは一味違う、ヨーロッパのジャズや新しいジャズが聞けるact。南2〜3条4丁目付近にジャズ喫茶が固まっていましたね。その時の気分や一緒に行く相手によって使い分けていた。
 大学院の時に開成高校で非常勤講師をしていましたが、生徒とAylerに行って一緒にジャズを聴きながら煙草を吸っていたような不良教師でした。その高校生は琴似地下鉄駅前にあるジャズ喫茶Rondoの息子さんで、今ではジャズやジャズ喫茶に関する本も書いています。
 時々そんな事を思い出していますが今回書く気になったのは、actの坂井幹生さん(弟さんの方)が2年前の秋に亡くなっていた事をつい最近知ったからです。店に入って左手がカウンター、手前の入り口側にたくさんのLPレコードとプレーヤーがあり、右手に一段下がったテーブル席がありました。1970年から85年まで開店していたのですが、僕は71年から80年くらいまで通っていました。後から自分でお店をやる「こうや」さんも時々カウンターに入っていたような。
 大晦日のブログで28歳の就職決定の前後の事を恥ずかしながら書きましたが、20代の院生時代は個人的に疾風怒濤の日々で、しばらく思い出したくない時期でもありました。そんな時の荒んだ気持ちに、actで大音量でかかるマイルスのBitche’s Brewなんてのは、今ここではない遠い彼方に連れて行ってくれる音楽としてとってもぴったりでした。