フレンチ・ポップスの異才

ミケランジェロ・アントニオーニが初めて英語の、そしてイギリスが舞台の映画を撮ったのが『欲望』(Blowup, 1967)。このブログでも時々ふれているデヴィッド・ヘミングスが演じるファッション・カメラマンが撮った写真を拡大(blowup)してみると、そこには殺人事件にかかわる人物が映っていたのだが、どうもよく分からない映画として有名の様です。明快に謎が解ける訳でもなく、アントニオーニ風の不条理が今考えるとメタ・ミステリーとも言えそう。分からないなりに、映像と音楽が面白かった。僕が見たのは20代の時だったが、印象に残っているのはライブハウスのシーンで出演したヤードバーズジェフ・ベックジミー・ペイジ。実は撮影時期の1966年がピンポイントで1年のみベック/ペイジの共演していたロック史の貴重な映像となる訳です。音楽はハービー・ハンコックが担当。1967年と言えばモード・ジャズの代表作Maiden Voyage(1965)と Speak like a Child(1968)の頃です。
そして後に有名になるジェーン・バーキン(1946年生まれ)がThe Blondeという役名なしで出演しています。でそのジェーン・バーキンが後に結婚するのが、フレンチ・ポップスの異才セルジュ・ゲンズブール(1928‐91)。ゲンズブールはギンズブルグ(Ginsburg)という名字のロシア系ユダヤ人の両親のもとにパリで生まれたので、少し名前を変えたのでしょう。ギンズブルグと言えば、イタリアの有名な歴史家と作家に同名の人がいます。ゲンズブールは前述のようにフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形 」(1965年)やフランソワーズ・アルディへの「さよならを教えて」(1968年)などの曲を作っていますが、同時に反体制的な内容や性的な歌詞の作風、そしてスキャンダラスな生き方で知られています。ブルジット・バルドーと付合い、フランス国歌をレゲエで演奏したり、奥さんのバーキン主演でちょっといやらしい映画を監督したり、したい放題をして63才で亡くなった。没後4年後に『ユリイカ』(1995年7月号)で特集されているくらいですから、フレンチ・ポップスの時代をスキャンダラスな生き方で駆け抜けた知的な不良おやじという括り方でいいでしょうか。二人の娘がシャルロット・ゲンズブールという事も含めて、カッコいいカップルではありました。