17歳の頃

ポール・アンカが英語の歌詞をつけてシナトラが歌った「マイ・ウェイ」はフランスの歌手の曲でした。作者であるクロード・フランソワの39歳の生涯を描いた『最後のマイ・ウェイ』をBSで見ていると、聞き覚えのある曲が流れました。それはジャニス・イアン(1951生まれ)の「17歳の頃」でした。彼女は”Love Is Blind”が1976年のドラマ『グッドバイ・ママ』で、同年”Will You Dance?”が、『岸辺のアルバム』の主題歌に使われたて大ヒットしました。特に山田太一の『岸辺のアルバム』はドラマ自体が印象的で、アメリカ文化論を都市と郊外という視点から論じた時に、日本における郊外と家庭の崩壊と再生という例として映像を使った事もあります。
 このジャニス・イアンというユダヤ系女性シンガーソング・ライターは1960年代後半に社会的なメッセージを込めた「ソサエティーズ・チャイルド」でデビューして、天才少女として騒がれた後に低迷しますが、1972年にロバータ・フラックがジャニスの「ジェシー」が取り上げて再び復活をした後の日本でのヒットでした。
 しかし「17歳の頃」は両方聞き直してみて、原曲よりもフランソワのアップテンポのバージョンが魅力的です。実はクロード・フランソワのベスト盤を聞いてみて、その中でもこの「17歳の頃」が一番気に入りました。この人は日本ではあまり受けなかったようですが、われわれの考えるフランス=お洒落というラインから外れているからかも知れません。日本でも人気のあったフランス・ギャルとの恋愛が終わった時に、フランソワは「マイ・ウエイ」の元歌”Comme d’habitude”(いつものように)を作ったようです。ギャルと言えば1960年代後半から70年代にかけてのフレンチ・ポップスが懐かしい。ギャルの「夢見るシャンソン人形」(1965)は当時でも少し子供ぽいと感じたが、後から作詞作曲があのセルジュ・ゲンズブールと知ってびっくりしました。僕は「アイドルを探せ」のシルビー・ヴァルタンの方が好きでした。初めて買ったテープ・レコーダーにアダモの「雪が降る」を録音して、自分の声にがっかりした事もよく覚えています。シャルル・アズナブールジルベール・ベコーの男性歌手の渋さも、フランスワーズ・アルディのモデルのような格好よさも素敵でした。ミシェル・ポルナレフのハイトーンもよかった。そんな懐かしいフレンチ・ポップスを思い出させてくれたクロード・フランソワと『最後のマイ・ウェイ』でした。