武田鉄矢と言語能力
武田鉄矢の音楽も振る舞いもそんなに好きだという訳ではない。しかし芸能界ではその言語能力において優れていると言っていいと思います。前からうすうすそう思っていましたが、今回高倉健の思い出を本当にたくさんの人が語っていますが、『幸せの黄色いハンカチ』における共演のエピソードなど、武田鉄矢の登場回数が多い。接点はその映画だけだと思うだが、そのエピソードが面白いか、語り口の面白さのせいか。
フォークの歴史を紐解く番組などでも、自分のグループのヒットと凋落、ニューミュージックの流行に追いつけない時、そして俳優業を始めた時などについて、よく覚えていて、その語りがうまい。たぶんそれぞれの時に、きちんと言語化して記憶するタイプの人なのだと思います。武田が仕切らないその手の番組だとあまり構成を意識せず、ただだらだらとその時の関係者が語るケースが多い。たまたまその手の番組出ていた武田鉄矢が俺が仕切ればもっと日本のフォークソングの歴史を生きいきと語れるのにという自負をそっと見せながら、出演していました。その語りを金八先生の時の、少しくさい悪しき教師口調でするのを嫌う人は多いようだ。僕もその点については同様ですが、床屋さんで流し読みした週刊誌でのインタビューでも、俳優業について語る時に、役について複数の解釈やセリフ回しを考えるなど、取り組み方が意識的、客観的なのだと思いました。
ある意味では、後から説明できる場面を想定しているようにも見えます。それって僕らの職業意識とも似ているような。読んだり、見たり、聞いている時に、後で書いたり、授業で説明する事を意識していませんか。僕はそうですね。ただ最初に芸能界ではと言ったのは、彼の名言などの質はキャッチフレーズのレベルで、決して哲学的な思考の深さに達している訳ではない。すごく腑に落ちる、分かりやすいものです。ま、深ければいいと言う訳ではありませんがし、深い事を分かり易く語るのが一番難しいのですけれど。