レゲエとガーヴェイ

自分の役割の一つとして、ポップな文化とアカデミックな考察をつなぐ事と勝手に考えています。ネット上で音楽や映画についての書き込みや情報はあふれていますが、そこに歴史的な知識や文化論的な考察はあまりありません。感想的なものが多い。そこで僕が少しだけ文化論的な視点を混ぜて書けばいいのかなと自認しています。
さてレゲエについては2回ほど書いていますが、まだふれていないのがガーヴェイとの関わり。アメリカ文化に関わる人でマーカス・ガーヴェイについて知らない人はいないだろうし、一方レゲエとの関わりについて知らない人は多いと思います。またレゲエを好きな音楽ファンで、ガーヴェイについて知っている人は少ないと思います。たぶんJahという神の事が歌詞によく出てくる事は知っている。このJahは旧約聖書の神ヤハウェ(昔はエホバと言いました)の短縮形で、レゲエ・ミュージシャンが信仰するラスタ主義の神に近い存在を指します。聖書を聖典としてはいるけれど、特定の教祖や開祖はいないので、ラスタ主義あるいはラスタファリ運動と呼ばれています。基本的にジャマイカ生まれのガーヴェイが主張したアフリカ回帰運動に近い思想です。
ボブ・マーリーに代表されるレゲエ・ミュージシャンがドレッドロックスというヘアスタイルをして、ガンジャを呼ばれるマリファナを吸うのは良く知られていますが、どちらもラスタ主義の教義によるものです。このボブ・マーリーが世界に広めたレゲエとラスタ主義。特にラスタ主義とガーヴェイの関係、そしてラスタ主義とレゲエの関係を少しまとめてみました。
1910年代ガーヴェイはアメリカで世界黒人開発協会 (UNIA)を組織し、世界中のアフリカ人の連帯を訴えるパン・アフリカ主義を提唱します。実はアフリカで唯一、植民地にならなかったエチオピアを黒人の魂の故郷と考える黒人がカリブ海諸国に多くいたようです。そのような考えをエチオピアニズムと言いますが、その流れをくむガーベイの主張はアメリカやカリブ海の黒人に支持される。そしてガーベイが「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」という発言をしたのが1927年。預言が実現したように1930年にハイレ・セラシエ1世エチオピア皇帝に即位します。そしてそれを受けてジャマイカの首都キングストンを中心にガーベイ主義が広がり、ラスタファリ運動が始まります。その後かなり時代を端折って、1960年代のジャマイカではスカやロックステディという音楽が流行っていました。ジャズの裏拍の影響を受けたスカと、ゆったりとしたロックステディの特徴を合わせると、すぐにレゲエになるような気がします。そしてジャーであるセラシエ皇帝がジャマイカにやって来たのをきっかけにラスタ主義を伝える手段としてのレゲエが流行していく。このように社会や思想とダイレクトにつながっている音楽ジャンルはあまりないような気がします。