ワイエスの再評価!

ずっと文化研究とジャーナリストの共通性について感じていました。その共通性とは専門性が相対的にない事です。相対的と慎重に言ったのは、文化研究の方は文学研究よりも広く浅くなる傾向がありそうですが、研究と名がついている限り研究の方法について自覚的だとおもいます。でもジャーナリストは毎日新しい事件やニュースの報道や記事の執筆に関わるとしたら広く浅くならざるを得ない。それも仕方がないかも。でも知らない事について少しは調べて書かないとだめでしょう。ちゃんとしたジャーナリストは自分が知らない事について書く時は、できるだけ情報や知識の補充をしながら書くと思う。最近それができていない例が散見される。
その例の一つが10月29日(水)『朝日新聞』朝刊文化欄の「ワイエス」関連の記事でした。「『抽象画家』ワイエス再評価」という記事をワイエスに関心があるので興味深く読みました。日米で人気の高いワイエスについて、あの朝日新聞アメリカ総局長(かなり偉い肩書ですが)が書いているので少し驚きました。そしてその短い記事に複数の疑問点がある事にもっと驚く。
記事の要点は、具象画家として知られているワイエスが抽象画家としての側面があり、それと関連してモダニズムの観点からは時代遅れとされてきたワイエスにも、モダニズムの要素もあるのだと言う。う〜ん、そうだろうか。それと「モダニズム近代主義)」と説明しているけれど、それはそれで間違いとは言わないけれど、でも「近代」とは何を指すのか。普通芸術分野で使う「モダニズム」は20世紀前半に起きた前衛的な表現を指す事が多い。英文学ではジョイスやウルフのようにそれまでのリアリズムとは異なる「意識の流れ」を文学で表現しようとするような試みです。絵画だとピカソマチスなど。その「モダニズム」の定義が変わって来たと言う時に、定義そのものを示さないで何がどう変わったのか読み手には分からないではないか。そもそも英語(ラテン語、ヨーロッパの言語)では中世以降を大きく指す言葉が”modern”しかないので混乱します。もちろん中世と近代社会の間にあった「封建時代」を指す”feudalism”はありますが、それも含めて中世が終わった後は”modern”で括ってしまう。
しかもアメリカでジャクソン・ポロックのような抽象表現主義が台頭したのは、後にポストモダンと定義付けられる60年代の手前の時期。そして今はポスト・ポストモダンの時代です。1世紀前に近いモダニズムに言及するならば、その辺りももう少しだけ調べておく必要なありそう。それと記事の元となったナショナル・ギャラリー(ワシントン)の英米絵画文門の責任者の発言も問題があると言うか、正確ではない。最後に何故ワイエスが日本でも人気があるのかという総局長の質問に対して「ワイエスは親しい人が亡くなったあとも、心の中に生かし続けていました。絵の中のそうした精神性が、日本人と共鳴するのではなでしょうか。」と答える。どうも絵の説明になっていない答えをそのまま書いて記事は終わっています。何か小言幸兵衛になってしまいそうだけれど、誰かが言わないとね。
で記事にも言及されていて写真も載っている「海からの風」(Wind from the Sea)。好きで自分のアメリカ文化のテキストの表紙にも使っていました。学内の無料の配布資料なのでいいかなと。