イギリス的

まだ全国大会終了後のメールのやり取りで忙しい。成功おめでというメールや関係者への礼状など。そんなで仕事に集中できないので、研究室にあった福原麟太郎の『チャールズ・ラム伝』(講談社学芸文庫、1992)を何となく読み始める。読売文学賞を受賞したこの本は評伝文学の傑作と評されているが、確かに英文学の大学者の力と心のこもった力作なのでしょう。でもそれよりも、若い時には中年か老人向きの文学だと思い込んで、敬して遠ざけていたいまラムの引用されている文章が、59才で亡くなったラムの年を自分も越えて読むと、その韜晦やペーソスや感傷がそれなりにすんなりと入ってくるのに驚く。そして詳しく知ったその波乱の生涯にも
チャールズ・ラム(1775年 - 1834年)は、ロンドンのインナー・テンプル法学院のサミュエル・ソールトの使用人を父として生まれたので、当時の文人としては階級・学歴共に中流でもなかったわけだ。中高生の時期にクライスト・ホスピタル校に学び、この時ロマン派の大詩人コールリッジと知り合い、生涯文学的・私的交流を結ぶ。その後、東インド会社で30年以上も勤め、恩給をもらって退職した職歴は、メルヴィルの「書記バートルビー」を連想させられる。
その波乱の生涯とは、ラム21才の時に、11歳年上の姉メアリーが錯乱の末、ナイフで母親を殺してしまう。この事件で、ラムは母を失い、生涯にわたり姉の面倒を見るために結婚を断念する。後には父親の面倒もみつつ、自分自身の精神疾患の不安も抱えつつと言うから、どんな悲惨な人生かと思いますが、その随筆(エッセイとは違うような)で後世に知られる文学的な業績を納め、コールリッジ等との交流もあったので、その点はほっとします。
実はこの姉メアリーとの共著であるシェイクスピア作品を児童向けに簡略化した『シェイクスピア物語』(Tales from Shakespeare 1807年)も有名です。でも「エリア」という筆名による『エリア随筆』(Essays of Elia 1823年、The Last Essays of Elia 1833年)で英文学の優れた随筆として文名を高めたのでした。日本での紹介は1927年国民文庫に始まり、平田禿木戸川秋骨といった文学者が翻訳をしている。
『エリア随筆』は『ロンドン・マガジン』に発表されたもので,作者自身の体験を中心に,人間の営み全般についての考察を,ユーモアと個性的な文体でペーソスを交えながら書かれたもので、やはり英文学的な、しみじみとした、大人の、巧まざるユーモアとペーソスと言う当たり前の形容が出てきます。文学ってそんなもんじゃない。もっと想像力が羽ばたく、パワフルで、創造的なものだ、という意見もまた正解ですが。中年と老年にイギリス文学や随筆がその地味さ、その人生についての省察がよく似合う。