もう一人の畏友

 フラメンコ誕生に関わったスペインのジプシー(ヒターノ)とモーロについて書いたら、もう一人の畏友W君がワシントン・アーヴィングの『アルハンブラ物語』について教えてくれた。『アルハンブラ物語』(1832)はグラナダにあるアルハンブラ宮殿に関する旅行記・伝説集。最初は弁護士、そして作家となったアーヴィングですが、兄の仕事を手伝うためにイギリスに渡り、17年間ヨーロッパに滞在。法律家でもありスペイン語にも堪能だったので、アメリカのイギリスとスペイン駐在の外交官となった。そして1829年アンダルシア地方へ赴任したアーヴィングは、セビリアからグラナダまでの旅の後、アルハンブラ宮殿に滞在した。その時の旅の様子、人々の生活、そこに伝わる数々の伝説を一冊の本にまとめたのが『アルハンブラ物語』です。そこではスペインのレコンキスタ(再征服)の歴史にも当然ふれられています。もともとキリスト教の土地であったので、イスラム教徒からの奪還をレコンキスタという訳ですが、アルハンブラ宮殿イスラム教徒の作った建物でイスラム的な意匠にあふれている(らしい)。
さて畏友W君は僕がニューヨークに半年いた時、ちょうどTM銀行の子会社の社長としてニューヨークの郊外に住んでいました。そのウェスト・チェスターのお宅に伺った時に、連れて行ってもらったのが、アーヴィングの住まい跡のあるタッパン・ジー・ブリッジでした。僕がなぜ畏友と言うかというと、彼は根っからの銀行マンでありつつも、赴任先の歴史や文化についてかなり調べているからです。1983年と97年にロンドンに行った/滞在した時も、赴任中の和佐宅に訪れ、ロンドンの歴史について教えてもらいました。僕よりも大学教員に向いているような、学究肌の穏やかな人物です。一昨年退職した彼はこのブログを読んで、時々関連した指摘や訂正をしてくれているので、今頃これを読んで苦笑いしているかも。