周辺から中心へ

誰がために鐘は鳴る』の主人公を助ける共和派ゲリラの多くがジプシーだった事と関連して、スペインのフラメンコについて少し考えてみた。本当は踊りとしてのフラメンコにはほとんど興味がなく、フラメンコ・ギターにはけっこう関心があるので。不明な点も多いが、フラメンコの原型は18世紀末にできたと考えられている。フラメンコ(ダンス、歌、伴奏)の誕生に大きな影響を与えたのはヒターノとモーロ人という2つのエスニック・グループであった。ヒターノは前項で説明したスペインのジプシー。モーロ人(ムーア人)はイベリア半島北アフリカに住んでいたイスラム教徒。

 歴史的にはイスラム勢力に圧倒されていたキリスト教勢力が「国土回復」の名のもとレコンキスタ(再征服運動)を展開し、1479年、カスティリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国は、1492年にグラナダ王国を滅ぼしてレコンキスタを完了させる。1499年モーロ人追放後も一部のイスラム教徒はキリスト教徒に改宗してイベリア半島に留まったが、1609年モリスコ(カトリックに改宗したイスラム教徒)の追放令の後もヒターノのコミュニティに潜伏してなおもイベリア半島に留まる者が少なからずいた。この時期にアンダルシアのヒターノのコミュニティがモリスコの踊りと音楽を受容し、その結果として生まれたのがフラメンコだと知ると、スペイン文化の周辺から発生した芸能が現在その国の代表的な文化の一つなったのは興味深い。研究テーマのあり方としては主流文化とマイノリティの関係を取り扱うケースが主流だったけれど、最近はマイノリティ同士の関係(交流や連帯だけでなく、反発も含めて)がけっこう多くなっている。フラメンコもそのような歴史を持っていると知って興味深いです。それとヨーロッパ南部とアフリカ北部との文化的な交流も。

 フラメンコに戻って、今年2月66才で亡くなったギターのパコ・デ・ルシアは、1970年代からジャズ/フュージョン・ギタリスト、アル・ディ・メオラのア『エレガント・ジプシー』に参加し、フラメンコ以外のファンにも知られるようになる。1979年には、ジョン・マクラフリンを加えてスーパー・ギター・トリオで活躍したのはマクラフリンの楽歴をたどる項でも紹介しました。パコがジプシーかどうかは不明だけれど、そのフラメンコ・ギターの1960年代のスターで、ピカソにも愛されたマニタス・デ・プラタ(「銀の手」という意味)はフランス人のジタンだった。ジプシー〜ヒターノ〜ジタンは元々移動を続けて国境を意識しない人たちで、国家を考える上でも参考になります。その文化の影響力についても再考してみたいものです。