原理主義

1学期のみの基礎ゼミは3分の1を残すところで、「レポートの書き方」に入った。実は半期の基礎ゼミではこれが重要かなと思います。「ノートのとり方」や「文献検索」もやりますが、3・4年になってもちゃんと書けない学生も多いし。基礎ゼミのテキストでは「レポートの目的」や「誰に向けて書くか」という基本的な事についてはふれられているが、「書く」という行為そのものとその意味までは教えてくれない。
 原理主義と冗談っぽくタイトルを付けたのは、「書く事」の実態と意味について学生に考えてほしくて、それについて基礎ゼミでふれたからです。あるテーマについて考える。でも自分の中には何もない。関連する文献を読む。そして考える。その後にやっと書くことが出てくる。そんな「書くという行為」の手前の「〜について考える」行為とその意味から始めるというのも、ま原理主義と言えるかなと。
 それと「レポート」というカタカナが少し問題がありそう。多くの基礎ゼミのテキストでは、高校までの「感想文・作文」と「レポート」の違いについて書かれているが、資料・文献などの客観的なデータや検証を踏まえた自分の意見がふくまれたのが「レポート」としても、どうもレポート≒報告書という感じがぬぐえない。最近ではそのあたりの違和感のためか「ペーパー」とも言うようですが。
 さて原理主義を4年生の卒業研究の中間報告にも応用しています。昨日は「ストリート・ダンス」についての発表。その学生は中学の頃にテレビで見た「ストリート・ダンス」に興味を持ち、大学では「ストリート・ダンス」をやっています。ゼミ生には最初からテーマを決めないで広くアメリカ文化を学ぶ事を勧めていますが、最初から決めている学生の卒研の質は一般的に高い。アメリカ文化について広い知見はないかも知れないけれど、関心を持ち続けてきたテーマについて理解と表現は一定程度のレベルに達しているケースが多いです。
 「ストリート・ダンス」の発表も悪くなかったけれど、アメリカ文化における「ストリート」の原理的な意味ついて考えてもらうように指導しました。例えば、アメリカの都市の黒人の人たちが住む地域における「ストリート」の役割。「公共圏」という言葉を持ち出さなくても、「ストリート」という場におけるつ黒人コミュニティーの交流と表現が生み出す「ストリート・カルチャー」はヒップホップもそうでしたね。
 あと「ダンス」については難しいけれど、肉体のコントロールと表現だろうか。それとアフリカ系アメリカ人のダンスの特徴、そして「ダンス」そのものが持つ、芸術の発生時の祭祀・神事における意味とか。ま、そこまで原理的にならなくても、現象や事象の背後にある歴史や意味について考えてくれればいいのですが。