文学の衰退

この件は所属の学科や学部にも関係して、少々差し障りがあるけれど?言いたい。一般教育の英語教員が早期退職する事になった。教養部時代からの30年来の仲間で、少し時期は違うけれど北大の英文科の同窓でもある。穏やかなとてもいい人なのだが、病気になってしまった。さいわい手術はうまくいったようだが、その後の治療が大変らしく、転移の心配もある。前から別の持病もあって、定年前にやめたいねと言い合っていたのだが、この4月になって正式に辞意を表明した。
 その後任は、一般教育の英語なのだが、基本的には学部に人事権があるので、英文学ではなく英語教育を専門とする人をとる方針に決まった。学部も新カリがスタートし、学科の英語教育のサポートを考えると、確かに文学畑よりは英語教育が必要なのは分かるのだが。その前から文学を専門としていた英語担当者の後任が英語教育にシフトして行き、その趨勢は了解しているのですが、全部そのように置き換えられると、英語教育が薄くならないか心配です。
 文学部の文学を教えるポジションは少ないので、一般(共通でも教養でも)英語の教員のポジションが、文学を研究してきた人の就職先でもあったのですが。このような状況だと、大学院に入って文学を研究する人も減りますね。ま、もうそのような事態はずっと前から始まっています。また1991年の大学設置基準の大綱化から、英語と第2外国語の必修がなくなってから、フランス語やドイツ語でも同様の事態がもっと早く、速く進んでいたのでしょうね。英語は幸い需要があるのですが、大学でそれを担う人の資質が変わって来たとも言えます。きっと後から、文学離れを憂うようになるでしょうが、その時はもう遅い?