日本初の英語教師

 厳密には日本初のネイティブ・スピーカーの英語教師であるラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald, 1824年 - 1894年)については寡聞にして知りませんでした。今回学会の会長の依頼で、ジェラルド・ヴィゼナーさんというネイティヴ・アメリカンの作家が来日するのに合わせて、北海道にも是非来たいので、セミナーか講演会を企画してくれないか言われ、進めています。
 その際、ヴィゼナーさんが言われて、ラナルド・マクドナルドさんの話題もヴィゼナーさんの話に入れる事になりました。ヴィゼナーさんはスエ―デン系アメリカ人のお母さんとAnishinaabe族のインディアンのお父さんとの間に生まれましたが、ラナルドの方はスコットランド系の父親とアメリカインディアン、チヌーク族の母親の間に生まれています。
ラナルドは子供の頃、自分達のルーツは日本人だと教えられて日本にあこがれてらしいです。捕鯨船号の船員となり、船が日本近海に来た1848年ボートで利尻島に上陸して、そこに住んでいたアイヌ人と10日ほど暮らした。この後、密入国の疑いで宗谷・松前を経て、長崎に送られてアメリカ軍艦で本国に帰還するまでの約7ヶ月間を過ごした。長崎奉行所で尋問を受けた際に通訳をしたのは、後にペリーとの交渉で通訳を務めた森山栄之助だった。長崎奉行はオランダ通詞14名がラナルドから英語を学ばせることにした。それまでは他の言語を経由せずに英語を教える教師はいなかったので、彼が最初のそして英語を母国語とする英語教師だったことになる。
帰国後は日本が未開社会ではなく高度な文明社会であることを伝え、アメリカの対日政策に影響を与えたらしい。日本では英語教師としてしか記憶されていないが、アメリカの歴史ではかなりの重要性を占める人物として、研究や紹介の書籍が多く公刊されているようです。この辺はウィキからの引用・アレンジです。