吉野弘の「離婚式に出会う」

詩人の吉野弘さんが先日亡くなりました。1926年(大正15年)生まれというから数年前に亡くなった岳父を同い年、また生まれた山形県酒田市は亡父と同郷になります。吉野弘川崎洋茨木のり子の詩誌「櫂」に同人として参加し、1957年に私家版詩集『消息』で注目をあつめ、1959年には詩集『幻・方法』を上梓。1972年『感傷旅行』で第23回読売文学賞を受賞。1990年『自然渋滞』で第5回詩歌文学館賞を受賞して、錚々たる詩歴を持つ詩人だが、一般的には結婚披露宴のスピーチでよく引用されるらしい「祝婚歌」で知られている。それはそれで悪くはないけれど、僕が詩を読んでいた20代の頃に思潮社の現代詩文庫で見つけた「離婚式に出会う」が印象的でした。詩人が中国旅行で離婚式に出会ったという設定です。憐れみから始まった愛が、生活の苦労がなくなった時に、愛とは呼べない異質なものが育ってきた事に二人は気付き、明るく離婚式を挙行します。今では現実にもあるような離婚式はもちろん虚構で、自分たちの気持ちに正直であらねばならないという風潮に押されるように、愛のないまま結婚生活を続ける事はできないと決意する。でも何か正直で明るいけれど、寂しいものがありました。何だろう。理屈や理念を通すとそうなるのだろうけれど、どこか違うという違和感でしょうかね。詩人もそう言っているように読めます。『幻・方法』に入っている「I was born」もいろんな人が引用したり、コメントや解釈を披露しているようです。