研究方法の歴史

 たいそうな見出しにしましが、11月に学部のシンポジウムで話すテーマに関連して考えています。所属学部は去年開設20年で、今年開設記念シンポジウムをしました。同時に学部教員だけでなく、卒業生・院生も含めて人文学会を発足させるので、その総会に合わせて、人文学に関する学部内シンポを実施する事になり、その講師を引き受けました。
 ま、頼まれたら断らないという方針によるためと、自分の研究の歴史(のようなもの)を振り替える事が、けっこうこの半世紀ほどの研究方法の変遷とかぶっているので、自分の事をある種の普遍性を意識して話せるかなと、少しづつ準備をしています。
 先ず、この15年くらい文学研究からカルチュラル・スタディーズ的な文化研究に移ってきた事。その前の大学院生の頃は、英文学なのでニュー・クリティシズムを知り、作者の伝記的事実や作品成立の背景などよりも、テキスト自体を精読するというスタンスは、その後のバルトによる「作者の死」を理解するには格好の予習になりました。190年代はバルトによる構造主義、その先駆的なソシュール、そしてレヴィ=ストロースなど、あまり訳も分からず飛びついていました。
 バルトが翻訳された1970年代前後は、後からポストモダンの時代とも言われ、自分ではアメリカの対抗文化も含めて、この時代の文学や文化を主たる研究対象としてきたような気がします。まだ、決着がついてはいないけれど。そのうち時代はポスト・ポストモダンになってしまった気配もあるけれど、時代を支配する枠組みはさほど変わっていないような。つまり2001年の9.11後の世界は、2011年の3.11に至るまで、またその後も含めて、各地で紛争が続き、政治は混沌しながらも、日本は偽装された平和の中で弱者を置き去りにしつつ。
 うーん、そこまで話を大きくしていいのか疑問と言うか、手におえない事になりそうなので、実際の話はもう少しこじんまりと収めるつもりですが。