コミュニケーション

 今年テニス・コートに来なかった仲間が先週顔を出しました。理由は白内障の手術をしたので、数ケ月運動が出来なかったという事でした。僕も3月に目の検査に行った時に緑内障の検査をして一応大丈夫だったけれど、半年後に来るように言われていました。
 でも目薬だけもらって来ようかなと思っていたのが、白内障手術の知人の例が後押ししたのか、検査もしてもらう事に。前と同じ、視野の機能の検査で、スクリーンに音と同時に白い点が映るのが見えたら、スイッチを押すと言うものでした。見えないのに押すのはフェアでありませんが、見えたか見えないか微妙な時にスイッチを押すべきか迷います。それと台に乗せている顎の位置がずれると何か音がして、それが白い点が現れ時の音と勘違いするわけではないのですが、検査終了なのかなと迷って、その直後の点と同期する音を聞き逃してしまいます。
 そんな事を看護婦さんに言うと、それを聞きながら「そうですよね」などの同意の言葉はなく、顎の位置がずれたので音がしたんですと言う説明だけ。うーん、会話と言うのは論理的な説明ではなくて、相手の気持ちを理解したというサインを求めている事になかなか気づかない。これは買い物でも若い店員だけでなく、マニュアルにある説明から一歩出た、個々の客とのコミュニケーションができなくなっているのと同様の現象のように思えます。
 客は2つの商品を並べてどっちもいいんだよねと言うと、店員さんはお客さんの好みですからと突き放す。そうじゃなくて、2つの商品の特徴や長所・短所を説明した上で、後はお客さんの好みですと言うべきなのではないでしょうか。