ヒロインとイノセンス

 前項の続きです。主人公に若き女性=少女を選ぶのは、作り手の多くが男性で、異性への憧れと欲望があり、それは大人でない、性的に成熟していない少女の方がヒロインとして有効だと無意識/意識的に考えるからである。
 このイノセントなヒロインは性的な欲望未満の存在であり、同時に/だからこそ世界を汚れた?経験や情報と無縁のピュアな視点で見る事ができる稀有な存在なのだと思う。そしてこのピュアなヒロインに無垢な少年のような爽やかさ、凛々しさを付け加えれば、そのまま宮崎アニメのヒロインとなる。
 そこまで言うと、これは少女/少年の美質を備えた両性具有的な造形となってしまうけれど。まぁ、フィクション、特にファンタジーのの主人公はそれでいいのかも知れない。そんなヒロインが新しい世界を見る事ができ、そこに飛び込む冒険が可能になり、そこに人々を連れて行く事ができる。
 でロリコンの方は『アリス』のルイス・キャロルの写真や『ロリータ』は、女性になる前の少女にある種の美しさの原型もしくは特殊性をみて、そこに固執するのだろうけれど、日本的には自立した大人の女性との関係を構築できない未熟な男性の特殊な志向のような気がする。
 写真は凛々しさと憂いを帯びたナウシカ