あまちゃんと宮崎アニメ

 NHKの朝の連ドラ『あまちゃん』が大人気です。僕も最初から見ていますが、主人公の天野アキを演ずる能年玲奈のコメディエンヌぶりが際立っています。もちろん宮藤官九郎の80年代のポップ・カルチャーへの目配りの利いた脚本や他の出演者もいいのだが。
 で今回恋人の種市先輩を両親が留守のマンションに誘い・・・・これがどうもアキちゃんのキャラと合わない。能年玲奈はすでに20歳で、アキは18歳なのだから性的な関係があってもいいのだろうけれど、能年玲奈の年下に見える、猫背でひょこひょこ歩く、瞳の大きい赤ちゃん顔にはボーイ・フレンドとのその種のシーンが合わないような気がする。
 今どきのハイティーンの付き合い方はもう一人のアイドル候補ゆいちゃんに任せて?アキちゃんは老若男女に好かれるイノセントな主人公でいてもらいたいと、つい僕も思ってしまいます。
 このイノセントなヒロインと言うのはこの夏上映された『風立ちぬ」の菜穂子も同様で、ナウシカ、シータ、サツキ、サン、ちひろと繋がる宮崎アニメの主人公はほとんど少女です。作品は順に『風の谷の少女ナウシカ』(1984)、『天空の城ラピュタ』(1986)、『となりのトトロ』(1988)、『もののけ姫』(1997)、『千と千尋の神隠し』(2001)。
 人によっては宮崎駿の事をロリコンと言うけれど、本人は主人公が少女である事が多い理由は、同性であると対象化しきれず、元気な女の子の方がやる気が出るからも語っている。でも性的な存在としてではない少女はイノセントを象徴していて、これは少年ではそうはいかない。少女よりも少年の方が性的生き物であり、恋愛を中心か脇筋として描くのでなければ、少女をヒロインとした方が、物語は描きやすいと思います。
 もちろん凡百の作家(映画監督や脚本家)なら恋愛を物語に絡めた方が描きやすいでしょうが、宮崎アニメのような壮大な世界観を描出するのには、性的要素を排除した方が物語は機能すると。
 さてアキちゃんも今どきの十代の女の子の様に振舞おうとするのですが、本人の欲望と言うよりは、周りから刷り込まれた幻想からの行為の様に見えてもどかしい。それとも脚本の宮藤官(くどかん)の男性として女性にそうしてほしいという欲望だろうか。
 でも視聴者としての僕がアキちゃんにイノセントであってほしいというのも勝手な幻想だろうか。