記憶は本当に苦いのか
タイトルは先週の『文春』に掲載された福岡伸一ハカセの「マンハッタン・マトリクス」の「記憶はなぜ苦いのか」をもじったものです。ハカセのコラムはAERAの「ドリトル先生の憂鬱」も読んで時々感心していました。
今ニューヨーク滞在中らしいハカセの今回の「記憶はなぜ苦いのか」も僕の興味を引きました。例えば海外旅行の思い出として訪ねた名所旧跡よりも飛行機が飛ばなかったとか、食あたりをしたとか苦い記憶が多い。僕もこのブログで書いたように新品のスーツ・ケースを壊されたとか、お金を取られたとか、強く記憶しています。
これはどうも脳の記憶形成を司る海馬に入っていくステロイド・ホルモンの一つコルチゾールは別名ストレス・ホルモンのせいらしい。つまり、このコルチゾールが生物が危機に陥った時、身体を戦闘状態または逃走態勢にする。具体的には脈拍を上げ、酸素を取り込み、エネルギーを動員する。出血が起こりにくくする。
しかし生物の進化上さらに大事なことは、今そこにある危機から逃れる事だけでなく、将来起こり得る危機を回避する事。それでストレス負荷がかかった時、コルチゾールは身体の態勢を整えるとともに海馬にも強く働きかけ、神経回路のシナプスを形成し、危機を記憶としてとどめるという。これが苦い記憶の原因だとか。
面白いと思いました。が、そこから先は非科学的な典型的文系人間の妄想です。生物としての危機回避ならそれでいいかも知れないけれど、取りあえず文化的な生活を営む人間としては、苦い記憶だけではそれ自体がストレスとなって、体によくないのではないかと思います。楽しい記憶はホルモンや神経シナプスの助けを借りなくても自然に蓄積され、危機回避のための苦い記憶とバランスを取っているのかなと言うのが、素人の疑問のまとめでした。