孤独な娘と孤独な作家

 『何がサミイを走らせるのか?』論が中断しているけれど、6月末が締め切りです。この『サミイ』論には同様のハリウッド小説論であるフィッツジェラルドの『ラスト・タイクーン』への言及はありますが、ナサニエル・ウェストの『いなごの日』にはふれていません。
 そのウェストの中編『孤独な娘』の翻訳が岩波文庫からやっと出ました。実は1950年代と60年代にもでているのですが絶版になっていた。この岩波版の訳者丸谷才一の後書きと解説者富山太佳夫による解説を合わせ読むと、ウェストの生涯と作品についてほぼ分かります。
 特にフランスの作家やシュルレアリスムに影響を受けたウェストの『パルソー・スネルの夢の生活』と『クール・ミリオン』の特異性と、『孤独な娘』と『いなごの日』の後世における受容について、理解できるようになっている。
 丸谷がエドマンド・ウィルソンの評を引用しての、ウェストの夢と無意識の領域への探求、破壊を志向するブラック・ユーモアなど、作家としてのレトリックで語る。富山は研究者として作品の引用と、1934年と言う時代背景、そしてユダヤ人作家ウェストの位置づけについて的確に語る。
 しかしこの孤独な作家をよりよく知るには、坪内祐三の『変死するアメリカ作家たち』(白水社、2007年)を読むといいだろう。坪内さんは雑誌『東京人』の編集者だった時、担当だった丸谷才一にウェスト論はどうなっているんですかと聞いたと今週の『週刊文春』の担当コラム「文庫本を狙え!」に書いている。
 いま『変死するアメリカ作家たち』をぱらぱら流し読みすると、早稲田の英文修士を出た坪内さんのウェスト紹介が一番詳しく分かりやすいかなと思います。