グローバル化の陥穽

 5月6日(月)朝日新聞の朝刊第1面。韓国のサムスン村へ世界のIT関連だけでなく金属・精密化学の工場が日本も含めて進出している。安倍政権の経済政策にもかかわらず企業の国離れは止まらない。
 経団連会長も世界経済のグローバル化による(国内の)空洞化だと認めている。経団連前会長のいたキャノンは中国からベトナムに海外の生産拠点を移そうとしているが、そこにはサムスンも工場を建設中で、雇用は創出されるが、賃上げと物価の高騰が離陸したばかりのベトナム経済を襲い、地元は当惑しているらしい。
 グローバル化により企業が利益を追及しようとすると、市場や安い労働力を求めて国内の工場は撤退し、雇用は減少し、地域社会は崩壊していくという。この企業の撤退による地域社会の崩壊と言う現象については、それが本当に崩壊なのか。企業に依存しない地域社会の育成の方が重要なのではないかとも思いますが。
 この国内の空洞化=貧困化という結果は、政府が国際自由資本主義というものが短期の利益を追求する欲望資本主義だという現実を認識せず、グローバル化という聞こえのいいお題目を無思考に推し進めたためだと思う。
 韓国の労働者も、政府が企業が栄えれば国民は豊かになると大企業を支援してきたが、増えたのはワーキング・プアと非正規社員ばかりだと言っている。これはそのまま日本の現実と重なる。
 ただ財務大臣経団連会長を前に国益のために春闘での賃上げを迫ったのは、企業集団のエゴを政府が押さえつけようとした好例だけど、これが続くかどうか心もとない。企業は余裕がある時は、利益と国益の両方を考えることが出来るが、基本的には短期的に利益が上がらないと成立しない。また国はまた長期的に国民の安寧を確保する事がその存在理由である。国益という短期的な何のことを指すか分からない用語で惑わされてはならないと僕は思いますが。また工場を国内に誘致するという考え自体も見直さないと長期的にはだめなのではないだろうか。
 つまり、好況とか成長とか言うものについての是非も見直さなければならないのではないだろうか。じゃ、不況でいいのかとすぐに反論が来るかもしれないけれど、100年前からはじまった大量生産・大量消費という消費社会のパラダイムから脱却しないと、長期的な世界の国々や人々の物質的な豊かさではない、穏やかな自足した生活は保証できないのではないかと思います。
 物質的な豊かさを十分エンジョイした世代の人間が言うと説得力がないかも知れないですが・・・