フィッツジェラルドのビジネス・ロマンス
3月で東大を退官された平石先生の門下生による『アメリカ文学のアリーナ』(松柏社)の第8章の「ビジネス・ロマンスは可能か」について。
フィッツジェラルド文学における大衆性を長編小説の書き方から検討する過程で、仕事が物語の核心に深く関わるという指摘が面白いです。
最初の『楽園のこちら側』における仕事をめぐる議論と仕事への消極性、そして2作目の『美しく呪われし者』では仕事への積極的な否定から働かずに生きる事を貫く主人公。それはある意味では、仕事または仕事をめぐる人間の真実の追及、煩悶がテーマとして描かれたのに、大衆に受けたのは若者の生態の描写という逆説も、皮肉と言えますね。
また仕事の物語と大人の生き方の関係も考えてみると興味深い。大人になる事と働く事、働く事とビジネスもまた。でもギャングはビジネスに関わるけれど、働くといえるかどうか。
さらに後期の3作での仕事の物語における役割の重要性が増すというのも面白いです。
まさに『ギャツビー』では仕事で得た富を利用して実らせた恋が、その仕事のせいで失われる、悲恋のビジネス・ロマンスになる。
時代の先端的な仕事を担うヒーローの挫折の物語が、センセーショナルで大衆的だけれど、仕事についての根本的な問いかけとして機能していて、しかも仕事の意味を否定しているように見えるがそうではないということでしょうか。
問題の立て方、検証の詳細さと情報量の豊富さも魅力的でした。僕もこんな論文を書く事ができればと畏友上西さんの事を羨ましく感じた次第です。