北海道とアメリカ文学

 12月の支部大会の講演とシンポジウムを支部機関誌に掲載するため両方のコーディネータを務めるUさんから原稿の最終校正の依頼が来ました。自分の分はもうあまり見たくないので、さっとチェックして。
 さて講演でH先生がご自分のアメリカ文学史に関連して話された、北海道をとアメリカ文学の親和性があらためて興味深かった。だいたいこんな事が話されています。
 アメリカ文学と北海道が、いかに波長が合っているか。北海道人は、多かれ少なかれ独力で、主体性を持って生きていくのが当たり前だと思っている。自分の人生をどう使うか、つまりどう生きるかが、人生と文学の問題だと思っているわけで、そこはたいていのアメリカ人と共通している。
 たいていは2代か3代前に内地から移住してきた人たちなので、子供たちを家に縛り付けないで、比較的自由にさせる風土があったのではないか。もちろん北海道が自由だと言っても、むろん経済的に豊かだからではない。貧しいから、どこへでも出ていかなければならない。
 要するに、貧しいこと、歴史や伝統が欠けていること、つまり移民の土地であることが、さっぱりした空気を作り出していて、その分、自我の自由な活動がしやすくなっている。
 しかも明治時代には札幌農学校ができて、クラーク博士が滞在し、内村鑑三をはじめ、さまざまな人が札幌で青春時代を過ごした。「少年よ、大志を抱け」という有名な言葉なども、共感をもってふだんから接してきた。
 うーん、僕が英文学から次第にアメリカ文学、そしてアメリカ文化に研究の軸足を移動させてきたのも、そのような事もあるかも知れない。ここでも何度かふれたけれど、父親は山形の農家の三男坊で食い詰めて?北海道へきたようだ。母方は鳥取の士族?が明治末期に北海道の最北の稚内にやって来て、馬具商を営んだ。今ならカー・アクセサリーの販売だろうか。父方の親戚とはあまり付き合いもないし、鳥取とも微かなつながりしかないので、家を守ると言う意識も、お墓の事以外はあまりない。
 先日の出張で一緒だったTさんは佐賀出身で、薩長に対するル・サンチマンがすごく、郷土意識も強烈なのが面白かったが、どうしてそこから自由にならないのかが不思議でもある。九州のTさんは韓国・朝鮮語の教員であり、また郷土の密教系のお寺の次男で家を継ぐ可能性もありあそう。僕らのような根無し草とはまた違う意識を持って当然かも。
 振り返って、僕にはそのようなものがない事が、気楽でかつ少し物足りないような。