少年の孤独

 先日亡くなった大島渚の作品で好きなのは『少年』でした。高校生の時にはシネマ・テークでジュリアン・デュビビエの『舞踏会の手帖』などのクラシックや、ゴダールの『気違いピエロ』などを見てて邦画にはあまり関心がありませんでした。
 また大島渚の政治的な作品が映画的に生硬に思えて、近づかなかったのですが、たまたま見た『少年』(1969)はその後の大島映画の中でも好きな作品で、没後他の評論家の評価をみても、『少年』を挙げている人がいて、わが意を得たりと思っていました。
 いま出張で函館5日目、窓の外は吹雪ですが、『少年』でも一番印象的なのは冬の北海道で、少年が雪だるまを作り、それに向かって繰り返しぶつかっていく場面です。
 少年は血のつながらない当たり屋を生業とする家族の中で孤独を感じ、そこから逃げ出してもまたさらに孤独なので、またその家族の元に帰っていきます。この実在の当たりやの家族を下敷きにした物語は、社会のひずみが家族の崩壊をもたらし、それが犯罪を生み出す状況を描いているように思える。
 しかし何にもまして印象的なのは、孤独な少年の毅然としてパセティックな表情で、それは演技なのかどうか分からなかった。後から子役ではなく孤児院から見つけ出した少年だったと知ったが、関係の希薄な家族の中の孤独を地のままに表現していたという事だろうか。だとしても演出と編集による映像の中で生み出されたインパクトは変わらない。