ヘンリー2世とピーター・オトゥール

 ピーター・オトゥールは『ベケット』(1964)と『冬のライオン』(1968年、イギリス映画)でヘンリー2世をを演じているが、まずヘンリー2世について。
 ヘンリー2世はプランタジネット朝初代のイングランド王で、父はフランスの有力貴族のアンジュー伯、母マティルダはヘンリー1世の娘。つまりヘンリー2世はヘンリー1世の外孫です。王位継承では少し直系から外れるかも知れない。母ははじめ神聖ローマ帝国ハインリヒ5世の皇后になり、ハインリヒの死後フランスに渡ってアンジュー伯と再婚した。 
さてヘンリー2世は父からノルマンディー公位とアンジュー伯領を受け継いだ。だからプランタジネット朝は、別名アンジューとも言われるんですね。1152年には、フランス王ルイ7世の王妃であった11歳年上のエリナー・オブ・アキテーヌと結婚。1154年イングランド王に即位したヘンリー2世が領有する地域は、フランス南西部および北西部、さらにイングランドの新領土を加えた広大なものとなった。地図で見ると現在のフランスの3分の1くらいには相当するような。
 さらにヘンリー2世は息子・娘を利用してフランス・ドイツ・イタリアの王家と姻戚関係を作ろうとする。またヘンリー2世はイングランドの行政・司法などを再建したと言われているが、どうも住んでいたのはフランスのノルマンディであったらしい。父親がフランス人なのと、当時はまだ文化的にはフランスの方が進んでいたのでしょうね。因みに子供たちは、母親がフランス人だったから、4分の3フランス人、3男の「獅子心王」リチャードもリシャールと呼んだ方がいいかも知れない。
 ヘンリー2世は大司教のトマス・ベケットを信頼し息子の家庭教師も任せた友人であったが、王権と教会の対立がこの友情を壊し、王の意図を勘違いした騎士たちがカンタベリー大聖堂ベケットを暗殺してしまう。この事件がヘンリー2世とローマ教会の関係を悪化させ、ひいては家族や家臣たちの反逆を招く事になる。
 具体的には二男のヘンリーは教育係でもあったベケットの暗殺を恨んだ事もあり、母エリナーや母の前夫であるフランス王ルイの後押しを受けて、弟リチャードと共に反乱を起こす。これは失敗に終わり、和解するがこの若き王ヘンリー王(父親とイングランドを共同統治していた)は28歳で亡くなります。ヘンリー2世はこの後もリチャードに反逆され失意のうちに56歳で亡くなります。
 で、やっと?映画の話ですが、『ベケット』はベケットを演じているリチャード・バートンのビリング(名前の出てくる順番)がキャリアも年齢も上でピーター・オトゥールより先でした。でもバートンって聖職者には見えない。
 『冬のライオン』ではキャサリン・ヘップバーンがエリナーを演じていますが、夫のヘンリー2世と一緒に暮らしていないので何か諍いがあるような、でも愛情もなくはないよう不思議な関係に当時は思えましたが、前述したように息子の夫への反乱を支援した咎で幽閉されていた時期の物語でした。このエリナーは広大なアキテーヌの領地をもち、芸術家のパトロンでもあった女傑であったわけですが、キャサリン・ヘップバーンなら適役で、気品があり同時に決然としたエリナーでした。
 この『冬のライオン』はブロードウエイの有名な舞台でスタートし、映画だけでなくTVでもリメークしているようです。映画版でのリチャードを演じた若き日のアンソニー・ホプキンズをよく覚えています。フランス王の息子フィリップは舞台でも美形青年俳優が演じるようで、映画ではのちのボンド役になるティモシー・ダルトン。1966年舞台版ではクリストファー・ウォーケン、2003年テレビ版ではジョナサン・リース=マイヤーズが演じています。リース=マイヤーズは『ベルベット・ゴールドマイン』でデヴィッド・ボウイーがモデルの伝説のロック歌手を演じていました。
 最後に何故かヘンリー2世を2度演じたのか理由は不明ですが、ピーター・オトゥールは『ベケット』の時は32歳で『アラビアのロレンス』の2年後。ホモセクシュアル的なロレンスと共通する雰囲気を持ったヘンリー2世でした。『冬のライオン』の時は36歳で、61歳のキャサリン・ヘップバーンと丁丁発止の演技合戦でその傾向は封印していたような。