リチャード三世とイングランド王室

 昨年8月にイングランド中央にあるレスター市でリチャード3世と思われる遺骨が発見されたました。レスター大の考古学調査チームは、リチャード3世の子孫を探し出してDNA鑑定を行い、昨日遺骨をリチャード3世の物と断定したようです。遺骨は背骨が曲がっていて、頭蓋骨にひびが入り矢が骨に刺さっていました。
 ヨーク朝イングランド王のリチャード3世(1452-1485)は有名な薔薇戦争の最後を飾るイングランド王であり、戦死した最後のイングランド王。このリチャード三世はシェイクスピアの『ヘンリー六世 第3部』と『リチャード三世』によって怪異な容姿と屈折した野心をもつマキャベリストとしてのイメージが広がったようだ。でも頭蓋に矢と言うのは一面武勇の人でもあったという事ですね。『リチャード三世』は映画や舞台で演じられていますが、映画ではローレンス・オリビエとイアン・マッケランが共に監督・主演している。
 時々、英国王室のことが話題になると書きますが、王室ファンとかウォッチャーではなく、歴史と文学、映画などとのかかわりで王室に関心があります。ヨーロッパとの関連についても。で、この項も特に新しい情報や知見を披露すると言うよりも、自分のメモとして書いています。ま、それが少しは人が読んでも、参考になったり、面白ければいいとは思いますが。
 さて1703年にスコットランドと合同してグレート・ブリテン王国が出来るまでのイングランド王室について。9世紀にアルフレッド大王がウェセックス朝の最初の王としてイングランド王室が始まります。ウェセックス(Wessex) の名は「西サクソン」(West Saxon)に由来しますが、場所的には、のちのテューダー朝と同様、現在のウエールズのように見えます。
 このウェセックス朝は12世紀までデンマーク王を兼ねるデーン朝と交互にイングランドを支配し、その後僕らが世界史でも習ったノルマン・コンクエストの時代が始まります。ノルマンディー公だったウィリアム1世は征服王(William the Conqueror)としてノルマン朝を開く訳です。このウィリアム1世はフランス出身であり、彼自身も周囲の人もフランス語を使っていたのでむしろフランス語読みのギヨーム(Guillaume)と呼ぶ方がふさわしいかも知れません。
 以前から書いているように欧州王室は予想していたよりはるかに深く濃く相互に姻戚などの関係がありますけれど、この中世のイギリスは大陸の草刈り場のように北欧やフランスから交互に支配されてきたように見えます。
 さてノルマン(北方人と言う名のフランス)の征服が終わった後、プランタジネット朝が250年続きますが、実はこのプランタジネットもフランスの名家の分家。またその後に薔薇戦争で有名なランカスター朝ヨーク朝が交互に続きますが、このランカスター朝もフランスの名家の分家で、ヨークもランカスター家の分家というので、本当にフランスの影響が血族的に強い事が分かります。
 このヨーク朝の最後の王がリチャード三世で、この後テューダー朝に引き継がれますが、これはウエールズなのでやっとイギリス純系の王朝が出てきます。またその後のスチュアート朝スコットランド系で、そして最初に述べたように1709年にスコットランドイングランドが合同して、グレート・ブリテン王国が誕生し、このミニ・ミニ・イングランド王室の歴史は終わります。写真は1969年、デヴィッド・ヘミングスが主人公の『アルフレッド大王』。