60年代のスピリチュアリティ

 18日(日)朝ホテルで集合してタクシーで会場の岩手県立大学へ。2011年のアメリカ文学会の全国大会でも会場だった。その後2005年には東北・北海道地区大学一般教育研究会の会場でもあったような記憶があります。つまり盛岡市から20キロくらい離れた滝沢村にやってくるのは3度目。
 簡単に機材のチェックをして、開始を待つ。レジュメは50部用意をしたけれど、出席は学会2日目でもあって10名くらい。ホッとしたような、少し肩透かしを食らったような。
 僕は発表の1番手。まぁ、何とか終わりました。原稿は出だしの5分の一くらいしか用意できませんでしたが。あとはノートPCの音楽を出す操作が何回かとちりましたが。結論は中途半端。中間報告と言う事でお茶を濁しました。
 次の日本女子大のBさんはドラッグによる意識の拡大をサイケデリック・ロック、ケン・キージーハンター・トンプソンなどの文学・ノンフィクション、そして興味ぶかっかたのは政府・軍隊・大学などの体制側の積極的な利用と、ドラッグ・カルチャーの早い終焉についてでした。BさんはPPのスライドから映像への移動がスムース。
 次のIさんはソウルの名曲「リスペクト」のオーティス・レディングアレサ・フランクリンのバージョンを男女の違い、レコード会社の方針、録音メンバーの人種交差など、詳しく分析して面白かったです。
 質疑もふくめて3時間があっという間に終わりました。僕に対するスピりチュアリティの個人と共同体の問題、アドリブについてなどうまく答えられたか。後からBさんのドラッグ・カルチャーも、修業も何もないインスタントな意識の拡大っていかにもアメリカ的だなと思いつつ、後からそれもまた60年代のスピリチュアルなものへの志向なのかなと思いました。
 写真は質疑の最後のところで時間があれば触れようかなと思って果たせなかった、サンタナとマクローリンの"Love, Devotion,Surrender"のアルバム・ジャケットです。