準拠枠としてのマイルス

 13日後のシンポジウムも発表原稿を用意しようかと思いつつある今日この頃です。原稿を用意するデメリットは明瞭。面倒です。メリットはそのテーマについてきちんと考えなければならない。参加者用のレジュメに少し発表者の自分用の書き込みをしてすませば、楽ちんです。しかしその際、話の始めと終わりとはきちんと準備しますが、中間部の運びが少しその場次第になってく可能性も多い。今日は授業も会議もないので、明日の授業の準備が終わったら、完成原稿に至らなくても原稿を書きはじめようと思います。
 さて昨日、シンポジウム用に作っていたパワー・ポイントを手直していました。その時に1960年代のジャズを説明するのにMiles Davisを使おうと考えました。その理由はマイルスの楽歴を辿ればモダン・ジャズの歴史が分かるからです。もちろん完全にではないですが、かなりの部分がこの一人の偉大なジャズ・ミュージシャンのレコードを聞けば理解できる。
 そう思ってディスコグラフィーを軽くおさらいしたのですが、意外と60年代前半はアコースティックなモード・ジャズのグループ表現の完成に時間をかけている。ドラムスのトニー・ウィリアムズ、サックスのウエイン・ショーターが加入して、『マイルス・イン・ベルリン』などのライブやスタジオ録音の作品を多く出しています。
 そして『ソーサラー』や『ネフェルティティ』などクインテットのグループ・エクスプレッションを練り上げた後、1968年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』がエレクトリック・マイルスの第一弾。その後『イン・ア・サイレント・ウェイ』を経て、あの『ビッチェズ・ブリュー』(1969)が出ます。
 1969年『ジャック・ジョンソン』。あまり60年代の公民権運動やブラック・パワーと関係のない、いわばアート志向のマイルスによるヘビー級初の黒人チャンピョン・ボクサー、ジャック・ジョンソンの記録映画の音楽を担当。ジミ・ヘンドリックスの代わりと言われるイギリスのギタリスト、ジョン・マクローリンが1曲目「ライト・オフ」で最高のリフを披露します。そのあとは1970年『アット・フィルモア』(NYの方の「フィルモア・イースト」)でチック・コーリアのエレクトリック・ピアノ(当時の通称、エれピ)とキース・ジャレットのオルガンがぶつかり合う音の格闘技が後から、プロデューサーのテオ・マセロの編集の腕によるものと分かります。と言うのは、同時期の『ブラック・ビューティ』(サンフランシスコのフィルモア・ウェストで録音)は、音源をほぼ最大限に使用しているけれど、かなりだれるのも事実です。この辺り、編集技術の音楽への介入の程度・レベルのあり方が、ある種ポストモダンと言えるかな。
 少し長くなりましたが、写真はスーツを脱いだマイルスの『ネフェルティティ』で。