またビスケット(とロバート・パーカー)

 札幌の9月は秋の気配が濃厚な季節なのですが、今年は以上に暑い。確かに最近は地球温暖化の影響か、札幌も結構暑いですが、今年のお盆以降の暑さは、半世紀以上この地に暮らして初めてです。しかも蒸し暑い。
 さて夏季休業最終日の今日、シャワーを3回も浴びて少しお仕事です。休憩時間に読んだ『スペンサーの料理』でビスケットが出ていました。
 その前に故ロバート・パーカーのスペンサー・シリーズ、日本でも随分と読まれました。ボストンを舞台とする私立探偵スペンサーは1970年代中ごろから2011年まで39作。特に第7作の『初秋』(1980、1982)でピークを迎えます。読書をよくする、ボクシングも得意な文武両道の私立探偵は、そのドン・キホーテ手的な騎士道精神がフェミニストからは時代錯誤とからかわれる。6作目『レイチェル・ウォレスを探せ』(1980、1981)では誘拐されたフェミニズムの闘士レイチェル・ウォレスをスペンサーが探し、救出するラストがけっこう感動的です。
 しかしユダヤ人の美人精神分析医スーザン・シルバマンへの手放しの愛がけっこう鬱陶しく、最新作を読むのをやめました。が、やはり文庫本は買って読み、ついに最後はまた単行本で最後の作品まで読みました。このマッチョ的で騎士道精神にあふれたスペンサーの恋人への愛はどこか女嫌いの匂いも感じられて。
 それがパーカーが新たに手を染めた西部小説『アパルーサの決闘』3部作にも如実に表れてきます。開拓期の西部では女性は圧倒的に少なく、妻帯者以外の男性は、娼婦としか経験のない者も多かったらしい。そのような状況では非現実的な空想的な女性賛美か女性をあきらめるか、男性同士の付き合い(ホモセクシュアルではなく、ホモソーシャル)に向かうのだろうと。
 さてスペンサー・シリーズのもう一つの魅力と言うか問題は、相棒のホーク(黒人男性)が、スペンサーが犯罪者を撃つのを倫理的に躊躇している時に、片付ける役割を担っている事です。それはスペンサーも意識している。事件は解決するが、物語としてはずいぶんと都合のいい展開に見えます。そんな例は、前にも書いたような気がしますが、ハーラン・コーベン作のスポーツ・エージェントのマイロン・ボライターを主人公とするシリーズ。ここではマイロンの親友・相棒の大金持ちの青年ウィンザー・ロックウッドが同様のデウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)のように、さっぱりと悪党を始末して一件落着してしまいます。それってどうも・・・

 さてアメリカの小説(だけでなく映画も)にみられるミソジニ―(女性嫌悪、女嫌い)の傾向と、ミステリーにおけるサイドキック(相棒)の魅力的だけれど時に物語的に安易な役割について書いてしまいした。と言うのは以前にもかなり似たような事を書いた記憶があり、そんな時は記事の記録をチェックするのですが、それが面倒な時もあり、読んでいる人もそんなに気にしないだろうかと。
 このスペンサー・シリーズ、人気のあった時は、誰がスペンサーに適役か愛読者で議論したものでした。残念ながら映画化はされず、テレビで2本のシリーズがありますが、探してここにお見せする様な写真はありませんでした。