Whartonを読む

 先週の土曜日11日の午後、藤女子大学で北海道支部の例会=第10回「若手研究者のためのワークショップ」がありました。
 第1回を立ち上げた上西さん(東京工業大学)が司会で、イディス・ウォートンの"Age of Innocence"をみんなで読むという拡大版読書会のような形にしました。たまたま第1回の司会をしてくれた渡部先生(立教大)も実家が札幌なので来てくれました。
 さて"Age of Innocence"を4名の院生がそれぞれ「ニューヨークという都市から」、「ミンゴット夫人のキャタクター」、「エレンの振る舞い」などから発表をしました。これは独自の視点で研究発表をすると言うのではなくて、一読者としての読みの例と言う事の様です。
 いずれも面白いものでしたが、描写や性格の統一がとれていないという二人ほどの院生の指摘に、前支部長のI先生が小説というのはもともと曖昧で統一のとれていない人間を描くので、それは作者の書き方がぶれているのなら別だけれど、と鋭く反論されました。僕もそこのところは踏まえての読みの提示なら良かったのですが、指摘されても仕方ないかなとというのと、それは了解した上での、別の指摘をしてもよかったかなとも思いましたね。
 さて主人公のニューランド・アーチャーは、ニューヨークの上流社会の一員ですが、ヨーロッパ帰りの伯爵夫人(エレン、婚約者になるメイの従兄妹)の自由で、芸術にも関心のあるところに引かれていきます。スゴイと思ったのは、「イノセンス」を体現するようなメイが要所要所でアーチャーとエレンを引き離す手管を使うところでした。
 しかし仙台からみえたS先生(僕が北海道支部の会員に勧誘した前事務局長でもあります)が、それは男性の視点だと鋭くかつ説得力のある論旨で反論。確かにそうかもしれません。そして僕もアーチャーの成長失敗譚ともよめる一種の教養書小説として"Age of Innocence"を考えましたし。
 またS先生はたしか懇親会で、『それから』の代助が娼婦を買った点と、アーチャーの以前の不倫経験を比較したのですが、僕もウォートンと数歳違いの漱石による『それから』〜『明暗』という一連の不倫小説との類似を感じていました。近代社会における制度と個人の本能・欲望について、日米の共通点とでも言うか。
 ヨーロッパとアメリカ、人種、階級、ジェンダーなど様々な視点で読む事の出来る作品についての有意義で楽しい読書会=ワークショップでした。