Nasの"I Can"

 月曜日の葬儀(告別式、火葬場、繰り上げ法要)の時には、午前中教務委員会を予定通り開催するので、告別式は欠席でぎりぎり火葬場に行くバスに間に合うかどうか。火葬上から戻って親族というか家族で少し「終わったね」という名残の時間が月曜夕方から夜にかけて必要だと思う。
 そんな訳で火曜の午前中にでも間に合うけれど、予め時間のある今のうちに火曜日の予習?をやっています。次の火曜日は2学期の学生の持ち込んだ曲の最後で、この後3回は僕の方の追加の歌詞(Bob Dylan"Like a Rolling Stone", S. Wonder "Living in the City")とPP(パワー・ポイント)でロックの歴史と、R&B〜Hiphopをやろうかなと。
 それで最後の2曲はアギレラとナスという事で面白いです。特に最後のナスは2学期から履修している法学部4年男子の希望曲で読んで、聞いてみると面白い。ぼくもNasは嫌いではなく、自分のヒップホップ論でも取り上げていました。でもゲットーのネガティブな側面を歌うラッパーとしての位置づけでいましたが、この"I Can"のようにBDPのKRS(Boogydown ProdductionのKnoledge Reigns Supreme over nearly Everyoneと自称するラッパー )の唱道するEdument(education + entertainment)に近いような。つまりギャングスタ・ラップのようにお金・性・暴力を肯定するものではなく、ゲットーの若者を音楽(娯楽)で教育するラップの範疇に入るような。それが「エリーゼのために」をさびとしてなかなか聞かせます。
 http://www.youtube.com/watch?v=eUqLGRMrFAg