あらしのあと

 雨の日曜日、少し二日酔い気味で所在なく新聞の読書欄を眺めていました。そこで目に入ったのが『あらしのまえ』という作品でした。オランダの作家による児童文学で、ナチスに侵攻される前のオランダと、戦争のあとのオランダを描いたものです。平和な日常を過ごしている静かな村の医者の一家がどのようにして戦争に巻き込まれていき、戦火の中を過ごし、戦後の苦境を乗り切って行ったかを描いています。
 僕がこの書評を読んだのは、翻訳が 『君たちはどう生きるか』の吉野源三郎だった事と、この作品に見覚えがあったからです。小さいころ巡回文庫とか移動図書館と言う、段ボールに本を入れて一定期間ある家(PTA関係か、町内会関係かよく覚えていません)に置いて、近所の人が借りていくという方式がありました。そんな訳で、うちの応接間にあった段ボール箱の中の本をけっこう自由に読んでました。そこでケストナーやヒュー・ロフティング(ドリトル先生の作者)やその他の児童文学を読んだ記憶が蘇ってきました。そしてドラ・ド・ヨングの『あらしの前』と『あらしのあと』も読んだ(もしくは表紙を見た?)記憶があります。
 書評では戦後の辛い生活の中で、多くの人がすべてを戦争のせいにするのに対して、一家の母親が、自分たちがする事を戦争のせいにしないで責任を取らなければならないと厳しく指摘する場面を取り上げています。これは震災後の状況を生きる今の日本の多くの人々にもあてはまると思います。冷静に自分のできる事を、自信と責任をもって行う。これは危機的な状況においてだけではなく、どんな時にも必要な事だと自戒の念をもって記します。