鏡の国の若者

 一時期地下鉄やバスで化粧をする若い女性の事が問題になりましたが、すっかり定着?しましたね。僕は今でも気になりますが、それってマナーに反しているという事だったんでしょうか。化粧は家ですませて外に出る。家から出たらそこは公供の場なので、社会のルールを守るという事だと思います。
 若い女性は時間を有効に使いたい、バスや地下鉄では知らない人ばかりなので気にならない、というのでしょうね。前半はいいとしても、知らない人の集まる公共の場ではその見知らぬ人を不愉快にさせないというかなり基本的なルールがあります。人中で化粧を敢行している女性は、目の前の人がいないものと無視している訳です。地下鉄やバスで通勤している人たちは、人の化粧の現場を見たいとは思わない。それを分からない化粧をしている女性たち。
 これって結局他者を無視ししている所業という事になるでしょうか。バスや地下鉄での乗客同士は一生知りあう事のない他人同士ですが、そのような関係の中だからこそ相手を不愉快にさせない配慮が必要なのだと思います。公供の場での化粧はそこに人がいないかのようなふるまいであるから、フランスでも、韓国でも問題になっているようです。
 国というよりは、世代の違いで、ルールの敷居が低くなっているように思えます。よく若者がいう「人に迷惑をかけないからいいじゃない」という言葉は、迷惑をかけられたと考える人がいるという想像力に欠けています。自分と違うコードで生きている人間がいるかも知れないという想像力とセンサーを働かせないと、周りの人に不愉快な思いを与え続ける事になるので要注意。しかもうまく説明がつかない、けれど間違っている、というような場合は、特に迷惑をかけている側はその意識がないし、かけられている側は相手に分かってもらえないが故に二重にストレスがかかる訳です。
 そうだ鏡の話は、若い男性が地下鉄で鏡を見ながら始終髪をいじっている事を言おうと思っていたのでした。つんつんとがっている状態を常にチェックしたり、たらした前髪をいじったり、けっこう鏡を見ていますね。そう言えばバスの前の座席に座っていた若者は携帯(スマートフォン?区別がつきません)のディスプレイを鏡にして髪のチェックをしていました。
 女性も男性も少なからぬ若い人が、鏡に映る自分ばかりを見ていて、外部や他者を見ていないという現象をポスト・ポストモダン的な、退行的に幼児的な疎外と孤独のアリスとでも言っておきましょうか。