コペル君と戦前の日本

 関川さんの『家族の昭和』では、向田邦子の描く戦前の昭和の日本と対比して、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(1937)を取り上げている。昭和11年(1936年)中学校1年のコペル君は13歳なので、1929年(昭和4年)生まれの向田邦子よりは少し年上だけれど、戦前の昭和に生きる少年少女ではある。
 『世界』の初代編集長で、反戦運動家で昭和を代表する進歩的知識人(こんな表現はまだ通用するだろうか?)であった吉野源三郎のこの児童文学は、2003年の「私が好きな岩波文庫100」で5位に選ばれたらしい。確かに読んでみるとその理想主義的な甘さはあるけれど、聡明な少年の身近な社会の経験が、父親のいないコペル君の保護者代わりのおじさん(24,5歳の帝大卒)によって甥へのノートとして大きな視点から見直される。
 僕は『君たちはどう生きるか』を読んでいて、ケストナー(1899年生まれ)の『飛ぶ教室』(1933)を思い出した。小中校時代の愛読書は、ケストナーの諸作品とドリトル先生だった。特に『君たちはどう生きるか』と『飛ぶ教室』の共通点は、社会の現実を経験しながらも、友達とのつながりを強く意識する事だろうか。というか、豆腐屋の家業を手伝うために学校を休まざるを得ない級友の浦川君を通してコペル君は社会の現実(貧しい人がいる事、貧富の差、不公平)を知って行く。
 吉野源三郎が昭和56年(1981年)に82歳で亡くなった時、中国旅行中で葬儀に参列できなかった丸山真男は『世界』にこの作品と故人にまつわる回想を書いた。『君たちはどう生きるか』を出版当時読んだ1914年生まれの丸山真男はコペル君のおじさんと同年代だった。彼は当時からこの作品に浴びせられていた「甘ったるいヒューマニズム」とか「かびのはえた理想主義」などの批判に対して、「市井の資本主義入門」として高く評価していた。現在ワイド版岩波文庫にはそれが収録されています。因みにコペル君という奇妙でかわいらしい響きの名前は、叔父さんがつけてくれたあだ名で「コぺルニクス」から来ています。このカタカナの名前もケストナーの作品を連想させるのかも知れません。