昭和を学ぶ
関川夏央さんの『家族の昭和』(新潮文庫、2008)を読む。関川さんの本は1984年の『ソウルの練習問題』から断続的に読んでいるが、最近では2001年に出た『「坊っちゃん」の時代』が面白かった。漫画家谷口ジロ―との共作という形で、明治の文明開化の時代に違和感を感じていた作家・思想家の群像劇でした。。
それも含めて、明治・大正・昭和という日本の近代を小説や作家の生き方から描いていくという作業を続けているようだけれど、今回は戦前・戦中・戦後、さらにバブル期へ「家族」をキーワードにして読み解く。僕は特に向田邦子(1929年生まれ)に関心があったのだけれど、彼女より1世代上の幸田文(1904年生まれ)との共通性「姉の物語」が印象に残りました。
向田邦子は4人兄弟の長女として、妹・弟の面倒を見るだけでなく、父亡き後の母の面倒(さらには恋人とその家も?)をみていた。有名な『父の詫び状』や『あ・うん』では、親子や兄弟の愛憎、その機微、語らないけれど暗黙のうちに了解している中での日常が巧みに描かれていたと思う。
幸田文は有名な『おとうと』で描かれたように病弱でやんちゃな弟の面倒をみ、そして老いた父幸田露伴の介護をして、その死後は作家の娘としての随筆が評価された後に、40代後半になって『流れる』に結実する芸者置屋での女中をした。女性が一人で生きるくろうとの世界にしろうとの自分がどのように生きる事が出来るかという実験のような、また小説の取材のような50日だったらしい。この『流れる』は成瀬巳喜男監督により1956年田中絹代主演で映画化された。原作は今読んでも、主人公の冷めた張りとでも言うような、芸者の置き屋の世界を冷静にかつ興味津津の趣で観察するところは面白い。
この二人に昭和の強靭な娘・姉そして母、といえば女性のという事になってしまうかもしれないが、原型を見る事が出来そうだ。