テキストを読む

 3月26日(土)北海道アメリカ文学会(日本アメリカ文学会北海道支部)の第9回「若手研究者のためのワークショップ」(第149回研究談話会)が開催された。
 日付や回数などをいちいち記載するのは、地方の一支部でも細ぼぞとはいえある種の歴史を背負って続いてきた事の意味を改めて考えるからです。東北支部のホームページを見ると当然のように3月の例会は中止、4月については延期とある。今回の災害の学会におけるダメージもかなり深いと思います。翻って北海道支部の「ワークショップ」も1998年から10年ほど札幌にいた畏友Uさんの肝いりではじめられた。当時は北大・教育大・札大北星学園大などの院生が若手研究者として支部が育成しようと考えていました。しかしここ数年は北大のみ、それもなかなか集まらず、中止や衣替えも考えました。しかし司会役を引き受けてくれたHさんが発表者が一人でも、ワーク・オン・プログレスという形式でやってみようと言ってくれて、今回の研究会が成立しました。
 さてテーマは「ヘミングウェイの短編作品にみる森と先住民」。北大修士課程1年のYさんの発表はワーク・オン・プログレス(研究途中)というよりは論文として8割がた完成したものでした。
 質疑では、イニシエーションとしての森と言う発表者のとらえ方に足して、ホーソーンの「ヤング・グッドマン・ブラウン」にみられるように、「闇としての森」もアメリカ文学にあるのでないかと考えていたら、Hさんが先に同じ指摘をしてくれた。
 研究会のいいのは自分の思いつかなかった視点が得られる事です。「研究会の準備」として僕がいつもするのは、テキストをよく読んでおく事ではなく、今回の場合なら『森のイングランド』を読んでしまう事。この川崎さんの労作は再読しても参考になるものですが、準備の方向が作品の周辺の文献に行ってしまう癖があります。
 でちゃんとテキストを読んできた人のコメントがとても参考になりました。支部長の伊藤さんは時に辛口のコメントもありますが、とにかくテキストをきちんと読む事にかけては右に出る者はいない。今回もインディアン・キャンプはインディアンの自然の集落ではなく、木材所の飯場のようなようなもので、資本主義経済に取り込まれたものではないかという指摘。なるほどと思いました。それを受けての司会のHさんの受け答えもさすがヘミングウェイの専門家で、出産の医学的変遷について、けがをしたインディアン男性の自殺についての、経済的かつインディアンとしてのアイデンティティーの崩壊からくる理由など、複数の読みの可能性を明確に指摘してくれてとても勉強になりました。まだいくつか目から鱗的発見もあるのですが、長くなりそうなのでこの辺で。とにかく今度はテキストをきちんと読んで行こうと思いました。