持続する志

 ここ数年内田樹さんの本を繰り返し読んでいます。最初は学生だったN君が勧めてくれた『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)でした。その後読み続けていますが、4,5年前英文学会のシンポジウムに柴田元幸さん、都甲幸治さんと出ていて、話も面白かったので、札幌の学会に講師としてお呼びしたいと考え、都甲さんにアドレスを教えてもらい連絡をしました。その時は学会が12月だったので入試で忙しいとかで丁寧に断られました。当時おそらく入試部長をしていらしたと思います。
 その後も、今まで常識と考えていた事と異なる考えを、分かりやすくかつ論理的に説得力をもって説明されるスタンスが好きでブログも時々読んでいます。
 今回の災害についての僕のコメントも、内田さんの「寛容」、「柔軟性」、「専門家に任せる」という考えに影響されました。しかしその後この「専門家」たちがあまり信頼できない事も分かってきました。「専門家に任せる」というのは正しいとしても本当の専門家が少ないのでしょう。それがこのような非常時に見えてくるのだと思います。
 今日は「兵站」についてがテーマでした。http://blog.tatsuru.com/
 戦争は前線での戦闘を支える兵站が重要ですが、日本(軍)は歴史的にその事を軽視してきたようです。日本の軍隊を描いた『真空地帯』や『神聖喜劇』を読んでも、軍隊組織の非人間性と、兵隊を取り換え可能なコマとしてしか考えない意識からは兵站という考えは浮かばないのでしょうか。一方、アメリカ映画やイラク戦争の映像を見ても、長々と続く兵站部隊が印象的です。
 兵站とは「戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また実施する活動を指す用語であり、物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。英語での「logistics」は、ギリシア語で「計算を基礎にした活動」ないしは「計算の熟練者」を意味する「logistikos」に由来する(ウイキペディア)。つまり戦闘を継続的に実施できる戦闘員・武器・食糧を輸送する冷静な論理と計算が戦争では必須となると思われるが、これは今回のような非常時においても応用できると思われる。
 例えば一種の銃後(安全で、被災者をサポートするべき場所)にいる我々も、被災地にいる人たちに持続的に物心両面で支援する事がいろんな点で可能だと思う。それは兵站部隊の長い列が象徴するように、一時的な思い付きの点としての支援ではなくて、線となるように支援する志を持続することも同時に必要であると強く思いました。