鶏小屋など

 子供時代の記憶と、締切からの逃避?行動などで、また卵関係の綴り方です。
 昭和30年代前半は僕が小学校に入る前から低学年の頃ですが、確か家の裏庭に鶏小屋がありました。朝小屋の中に入り、生暖かい卵を取りにいった記憶があります。その小屋の藁の匂い、鶏の糞と毛の臭いなど微かに覚えているような。
 匂いの刺激って直接脳に行くらしいけれど、記憶はその分すぐ消えるのか、または長く残るのか。また記憶自体が本当に覚えているのか、長じて様々な情報から意識しなくても偽の記憶を作るのか、興味はありますが正確なところは分かりません。
 で、その鶏小屋も、鶏が卵を産まなくなって締めて?から、無くなったような曖昧な記憶があります。多分父親が締めた鶏はすき焼き風の鍋にしてみんなのお腹の中に消えたのでしょう。当時は市場でも鶏のモツを売っていて、家ですき焼き風の鍋にした記憶があります。玉子になりかけの黄色いものが幾つからつながっていたりして。すき焼きと言えば北海道では豚肉でした。大学に行って本州出身の同級生からすき焼きって牛肉だと教えられ、一種のカルチャー・ショックでした。
 正確には鍋ではありませんが、北海道では一家に一つジンギスカン鍋がありました。今なら匂いを嫌って室内ではしないでしょうが、当時はそんなことを気にせず、居間に新聞紙を敷いて七輪を置き、その上にジンギスカン鍋を載せて食べていました。炊事遠足もジンギスカンか豚汁が定番でした。
 子供時代の卵の記憶は、家が下宿をしていたので、茶わん蒸しを作る手伝いをしました。出し汁に卵を混ぜて、笊か何かで濾した後、容器に分け入れる簡単な作業の分だけを任されたような。その後は蒸し器に入れて。家族が4人で、下宿人が同じくらい、少し余分に10個くらい作っていたような。
 茶わん蒸しには鶏肉、しいたけ、ユリ根、銀杏など定番材料が入っていましたが、途中まで食べた後、ご飯の上にかけると即席のミニ親子丼で美味しく食べる事が出来ます。あまり上品とは言えませんが、今でもやってみたくなります。