ゴーレムの本
11月仙台で開催された東北支部の例会に参加した時にある講師が発表したユダヤ人の人口生命体ゴーレムが気になっていたのか、日曜版の読書欄にある『ゴーレムの生命体』の書評が目に入った。発表でもゴーレムとフランケンシュタインの類似に触れたような記憶があるが、そこでは人間と人間が作り出したものとの違いが意識される。人間と似せて作られつつ怪物化された人人工生命体の怒りや悲しみが、人間の傲慢さやアイデンティティーの揺らぎを照らし出す。つまり人間のとなりに人工生命体を置いてみると、人間とは何かがより見えてくる。
「亡霊」も単にきちんと弔われなかった「死者」の魂の蘇りと言うだけでなく、生きている人間が記憶や歴史に収める事のできなかったものが、ある種の棘やノイズとして残ったり再帰してくると理解してもいいだろう。
LA文学の発表準備が急務なのだけれど、つい「亡霊」関連が目に入ってくるとまとめたく?なってしまう。