ユダヤ人の思考様式と生活

先週の土曜日の北海道アメリカ文学会の第143回研究談話会では小樽商科大学羽村貴史さんが発表をされた。僕が支部HPへの報告を書いたのでここに転載します。
 羽村さんの発表は、「正統派ユダヤ教の世界――その思考様式と宗教生活」と題されたもので、前半は最近の論文からの難解な話と、そして後半は2年間滞在したシナゴーグの映像を使っての楽しく興味深い報告でした。
 ヘブライ語の「言葉」という語davharを英語に置き換えるとword, sayingだけではなく thing, matterの意まで含み、背後にあるものを前に押し出すというユダヤ人の発話行為を意味する。またボーマンによればギリシャ人にとって「ロゴス」が存在する事を特質とするのに対し、ヘブライ人にとって「タヴァール」は働きかける事が特徴であるらしい。「イザヤ書」でも発話はつねに行為を前提とする。
 そのような言葉の織物であるテクストの解釈については、一人の作者による究極の意味(起源)ではなく同時的・並列的に存在する複数の意味を認めようとする思考様式がユダヤの伝統であるとする。だから若いラビが自分の解釈を述べても他の者たちはそれに対する自分の意見を言わない。
 後半では、アメリカ東部のアマーストシナゴーグに2年間滞在した時の貴重なエピソードをたくさん聞く事ができた。このような体験した研究者はあまりいないと思われ、この体験談で1冊の本が書けそうな気もする。さて最初の半年間ユダヤ教の信者からあまり打ち解けてもらえなかった羽村さんが彼らの世界に受け入れられるようになった時の最初の質問も言葉に関する事であった。彼らは羽村さんの名前「貴史」の発音に対して執拗とも言える程の関心を示したらしい。それは「ダヴァール」と関連して、言葉と実体の関係に対する思考様式に由来する面白いエピソードでした。ユダヤ教徒の祝祭や歌と踊りの映像もとても興味深いものだった。
正統派ユダヤ教徒の人たちは自分たちの集団で文化的に自足して他の社会と関わらないようにも見えた。それはユダヤ人全般に共通する、いかなる共同体にあってもその周辺に位置するユダヤ人のあり方を象徴しているような気がする。