『煙の樹』を書評する

本書はDenis JohnsonのTree of Smoke(Farrar Straus & Giroux 2007)の翻訳ですが、先ず600頁を越す訳業を成し遂げた藤井氏に賛辞を呈したいと思います。1970年代から発表され続けてきた様々なベトナム戦争小説群にピリオドを打つような刺激的かつ重たい作品が、スラングの多い会話も含めてとても良く訳されています。この『煙の樹』はケネディ大統領暗殺の1963年からベトナム戦争が泥沼化していく1968年までと、最後にエピローグ的に1983年が描かれています。舞台はハワイ、フィリピン、日本、アメリカ本土、ベトナム、マレーシアとあちこち移動し、登場人物も、元大佐サンズ、その甥のCIA兼武器密輸商人スキップ、その恋人のカナダ人看護師キャシー、ベトナムに従軍するヒューストン兄弟、ベトナム人のスパイ、ドイツ人の殺し屋など、多彩で多岐に渡るので読みつつ少々混乱してしまうかも知れません。
またこの作品はベトナム戦争を描きつつ、様々な過去の戦争とアメリカ人の物語を連想させるものです。先ずサンズ元大佐のカリスマ性は、『地獄の黙示録』のカ―ツ大佐と通底しています。という事はコンラッドの『闇の奥』もこのテクストの背後に読み取れる事になるでしょう。大佐に憧れてCIAに入った甥のウイリアム・(スキップ)・サンズはグレアム・グリーンの『静かなアメリカ人』を思わせ、ベトナムを舞台に愛を求めて自分の信念を失っていくファウラーの物語をなぞるようでもあります。
さらに言えば、アメリカとアジアの戦争は、そのまま欧米と第三世界の支配/被支配の構造が再編されつつあったより大きな物語を背景としつつ、欧米的な価値観を相対化する視点が出現し、同時にイデオロギーの対立も含んで、混沌の度合いを深めていきました。
話を『煙の樹』に戻しますと、大佐の策謀する「煙の樹」作戦は情報収集が政争の道具に使われないために考案されますが(270)、同時に聖書に現れる人間の愚行に対する主の怒りのシンボルでもあります(471)。ベトナム戦争をキャリアの頂点であると同時に転落の始まりとする大佐を始め登場人物は皆、戦争に取り付かれ、翻弄され破滅していく加害者/被害者だと言えます。「煙の樹」というタイトル通り、物語も一筋縄では行かず、登場人物も読者も煙に巻かれてしまう訳です。つまり語りの構造としてのポストモダンではなく、誰が誰を救ったのか、裏切ったのか、またはその両方なのか曖昧なまま宙釣りにされるという意味でポストモダン的な世界が描かれます(511)。激しい戦闘が描かれるものの、その衝撃は物語全体のアンチ・クライマックス的な流れの中で無化し、暴力の無意味さがゆっくりと表面に浮上してきます。そして最後の頁(649)において救済という言葉が語られるのですが、全体としては戦争と人間の愚かさを強く印象付けられながら本書を読み終えました。