ゴールデン(・)スランバー

 The BeatlesAbbey Roadの中のアナログ盤B面8曲目にあるGolden Slumberに触発されて自家製の「ゴールデン・スランバー」を書いた事は懐かしい、恥ずかしい記憶です。
 近年日本の娯楽小説でアメリカのポップやジャズのスタンダードの題名をそのまま使う例が多いけれど、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』もそう。彼には『ラッシュライフ』もあるし。
 ビートルズの「ゴールデン・スランバー」についてはいろんな人がいろんな事を言っていますが、「ラッシュ・ライフ」も「A列車で行こう」や「サテン・ドール」を書いたビリー・ストレイホーンの名曲です。ナット・キング・コールコルトレーンが決定的な名曲に仕立て上げた。
 さて映画『ゴールデンスランバー』を見てきました。たまたま「メンズ・デイ」とやらで1,000円で入場。でも生ビール(とフライド・ポテト)の誘惑に勝てず、映画の途中でトイレに行く事に。
 原作の映画の関係は難しいですが、久しぶりの日本映画ですので、気楽に楽しみました。「信頼」をキーワードにする主人公に堺雅人は合っているような気がする。彼を助ける連続殺人犯「キルオ」の濱田岳も異能の演技者で印象に残りました。映画評で批判されているエンディングは原作と同じですが、僕はハッピー・エンディングとアンハッピー・エンディングの中間をいく収め方で悪くないと思います。もう一つのテーマである「逃走」を貫徹する意味においても。
 でも日本の俳優が口ずさむ「ゴールデン・スランバー」は下手でした。確かにきちんと歌わない、何となく口ずさむ歌い方というのは難しいとは思うのだけれど、その何気なさがなかなか演技(歌唱)にならないのですね。
 映画が小説に勝る点。爆発の音。地響きのような音が効果的でした。劇場の音は全般的に地響き的でその点はマイナスですけれど。もう一つ、クライマックスで花火を効果的に使っていた。花火は視覚と音響の両方で文字では表現できないメディアでしょうね。主人公と彼を助ける仲間と観客のカタルシスを誘う、うまい使い方でしたね。