暴力的な相棒

 西部小説だけでなく、アメリカ映画にはバディ・ムービーという分け方があります。主人公と相棒との道行の物語。ニューシネマでも『明日に向かって撃て』、『真夜中のカーボーイ』、『イージー・ライダー」など枚挙にに暇がない。これはそのままロード・ムービーでもありますね。
 そして道行ではないが、相棒(sidekick)は主人公の行動や性格を相対化したり、ストーリーを複線化したり、物語そのものの深みを増すために重要だけれど、ある種の探偵小説や西部小説では、主人公の倫理的な悩みを一挙に解決するデウス・エキス・マキナとして相棒が必要とされているような気がする。
 典型的な例として「スペンサー・シリーズ」のホーク。そしてハーラン・コーベンの作品。コーベン作『パーフェクト・ゲーム』などの主人公マイロン・ボライターはスポーツエージェント。その相棒にウィンは名家の出身でハンサムなやりてビジネスマン。しかしウィンが躊躇するマイロンの敵を抹殺する。
 別な例としては映画『ミスティック・リバー』で有名なデニス・ルヘインのパトリック&アンジー・シリーズのブッパだろう。ボストンを舞台にした主人公パットとその幼馴染のアンジーのコンビの友人が麻薬密売人・殺し屋のブッパ。
 いずれも主人公は必要なら暴力も辞さないが、例えば究極の悪人でも素手で降参してきた時には殺しはしない。しかし改心したわけではない悪人を殺す事に逡巡している時に殺すのが主人公よりもハードボイルドな相棒なのだ。これって物語的には作りやすい。この作り方はハリウッド、アメリカという気がする。