音楽について語る事

 授業で学生が音楽について発表すると、取りあげる曲そのものではなく、その曲の周辺について語る事が多い。ミュージシャンの経歴やその曲の発表時に関する逸話など。歌詞の正確な訳と、その上での学生なりの解釈があって、補足的に伝記的事実が話されるのならいいのだけれど、適当な訳と恣意的な解釈をして、時間があまるので周辺の情報を加えるような発表が多い。
 でも発表全体はまあまあだが、ピカリと光る指摘もあって学生の発表は興味深い。授業って学生と教師の両方が作るものだのだよねって言う建前もよく言われるが、本当に学生に教えられる事は多い。いつもぼんやりしている(ように見える)が学生がなかなかいい発表をしたり。でもその学生は発表の後はまたぼんやりしているけれど。一方で内容は悪くないのに発声が聞き取りずらいとかもあって、ちょっとアドバイスしてあげれば、ぐんと伸びる学生はたくさんいる。、 
 僕は楽器を演奏できないし、楽理も知らないけれど、音楽を言葉で語る、または少なくとも考えるようにしてきた。音楽について書く時には意識しないと、やはり音楽そのものではなく、それに関わる周辺的な事を書いてしまう。音楽も感覚的に聞いてしまう。普通はそれでいいのだけれど、学生に指導したり、自分が音楽について書く時にはそれでは駄目なんんですね。
 つまり身体と心で聴いて、頭で整理してあげる事が必要だと思う。昨夜久しぶりにサンタナとジョン・マクローリンの「ラヴ・シュープリーム」や、その流れでコルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングズ」、キース・ジャレットの「心の瞳」(少し恥ずかしい邦題?)を聴いて、考えてしまった。音楽そのものについては次の項目で。