『錦繍』を観る

 昨夜教育文化会館で宮本輝原作の『錦繍』の舞台を見てきました。演劇を観るのは何年ぶりか言いずらいほど久しぶりでしたが、面白かった。原作の書簡体小説は、イギリス文学では最初の小説がS・リチャードソン(元代書屋、印刷屋さん)の『パミラ』なので、初歩的な読者には読みやすいが、書き手にとっては制約の多いスタイルだ。
 でも一方では、携帯電話全盛の時代に手紙という古典的なコミュニケーションの方法の中にロマンチックな内容を盛り込める。時に少々情念過多に陥る事も。
 さて外国人演出家を迎えた舞台は、シンプルな舞台に、登場人物が椅子などの小道具をみずから運び、主人公の手紙の文も割ゼリフのように分担して、変化を持たせたのが効果的だった。
 3時間の長尺も気にならない、謎を秘めたストーリーだった。原作を読んでいない事もあったが。ただ無理心中をしかけた女性の死ぬ理由がよく分からない。恋人を殺して自分も死のうとする程強い根拠が示されていないような気がする。これってエリオットがハムレットの苦悩には客観的相関物(objective correlative)が欠けているが故に『ハムレット』は失敗作だと断じていたけれど、それと同じではないか。
 しかしこれはカントの『判断力批判』を持ち出すまでもなく、ある錯乱した感情に相応する理屈を見いだせないが故に錯乱という状態が現出するとも言える。何か分からないまま宙づりにされた状況は極めてポストモダン(また出てきた)なのだと思う。
 また主人公の女性がモーツァルトを聞い悟る死ぬ事と生きると事は同じという人生観は最後でも繰り返されるが、どうもなとも思う。しかし後から原作を読むと、十分とは言えないが、舞台よりはもう少し説明がしてある。しかも舞台でのセリフを聴き逃した可能性もあるので、断定はできない。
 演出・演技・舞台装置など興深かかったので、また来てみたい。