サミーは走る

 バッド・シュルバーグの『何がサミイを走らせるのか?』(新書館、1975年)を再読しています。原著はシュールバーグが27歳の時、1941年に書かれている。サミーのモデルは27歳でワーナー・ブラザーズの、31歳で20世紀フォックスの制作本部長となったダリル・ザナックと言われる。が同時に、21歳で重役となったユニバーサルの神童と呼ばれたアーヴィング・サルバーグも入っていると思われる。バッド・シュルバーグの父親B・P・シュルバーグもパラマントの撮影所長だったので紛らわしいが、サルバーグ(タルバーグとも表記される)とは別人です。
そして『映画のタイクーン』(フィリップ・フレンチ、みすず書房、1972)を読むと、サミーのモデルはジェリー・ウォルドというライター兼プロデューサーだと言われている。様々な映画関係者を連想させる人物なのだろう。
 『何がサミイを走らせるのか?』は、『イナゴの日』(1939)や『ラスト・タイクーン』(1941)と並ぶハリウッド小説と言えます。因みに『ラスト・タイクーン』のモンロー・スターはアーヴィング・サルバーグがモデルとされている。『ラスト・タイクーン』はフィッツジェラルドの未完の遺作ですが、どうもストーリーは停滞し、人物はステレオ・タイプと言うように思えます。
 さらに因みに、1939年は『駅馬車』、『オズの魔法使い』、『風と共に去りぬ』の上映され、映画の観客動員数および映画館の数がピークに達した年です。
 ニューヨークの新聞社の走り使いにしか過ぎない16歳の少年があらゆる手段を使って、ラジオ蘭担当のコラムニストになる。その後、シナリオ・ライター志望の青年と一緒にハリウッドに向い、その青年のアイデアを横取りして、ジュニア・ライターから華々しく脚本家としてデビューする。そして映画作家組合をつぶして経営陣に取り入り、ついには映画会社の社長に上り詰め、東部の銀行家の娘と結婚。しかし父親の財産を背景として好き放題をする妻に頭が上がらない、というアンチ・クライマックスで走る続けたサミーの成功譚は終わりを告げる。
 その凄まじいまでの上昇志向とエネルギーと、人を人とも思わない人非人ぶりに圧倒される。
 語り手は新聞社の記者で、脚本家を目指してサミーの後からハリウッドに赴くアル・マンハイム。途中で一時期ニューヨークに戻り、サミーの実家を訪れ、その異常な生き方のルーツを探る。貧乏で差別をされるユダヤ人の少年は、すべてを犠牲にして金を儲けを目指す。守銭奴のホレーショ・アルジャーはもう一人のギャッツビーで、アルはニックとも言える。
 昨日から読み始め、ついさっき読み終えた。圧倒されたが、何という意味のない生き方だとの思いもある。
 シュルバーグがフィッツジェラルドをモデルに書いたと言われる『夢やぶられて』を買おうと思ったが、こちらはアマゾンで1万円以上するので原書の方を読もうと思う。