トカトントン

 太宰治の『ヴィヨンの妻』の映画化かもあってか、書店では文庫の再版が平積みされている。恥ずかしながら若い頃、結構好きで読んでいました。太宰が好きって文学好きのビギナーのようなイメージがあって恥ずかしい感じがあったような。大江健三郎を読んでいますと言う方が格好よかった?
 さて太宰は今読んでも、導入のうまさ、文章の闊達さ、展開の巧みさ、長生きしたら日本のアップダイクのような小説家になったのではと思わせるような作家だった。
 で「トカトントン」。戦後地元に戻って伯父さんの郵便局で働く文学好きの青年。太宰(を思わせる青森出身の作家)の中学の後輩らしく、作家に人生相談の手紙を書く。この青年は郵便局の仕事でも、恋愛でも、労働運動でも、小説の執筆でも、夢中になっている頂点でどこからともなく聞こえてくる「トカトントン」という建築中の現場の釘を打つような音で、何もかもどうでもよくなってしまう。虚無のような、でもそうもなさそうな、すべてチャラになってしまう音。
 虚無の情熱さえ打ち消す、気取った苦悩とも否定される「トカトントン」とは僕的にはポストモダン的な世界観のように思えてしまう。
 同じ文庫に収録されている「ヴィヨンの妻」での、どうしようもない作家である夫と共に墜ちて行く妻のしたたかさ、ふてぶてしさ、その鈍いとも言える強さは、ネガティヴな魅力を湛えているような。麻薬と酒で破滅したジャズ・トランペッターを描いたドキュメタリー映画のタイトル"Let's Get Lost"を連想させられます。