M・トウェインと3人のトム

 13年前の『ユリイカ』のM・トウェイン特集を読んでいます。そこでは平石貴樹氏、後藤和彦氏、笹田直人氏の論考がそれぞれ「規範」、「父親殺し」、「パッシング」の観点から参考になる。平石先生の「トム」が結局規範の中に戻る存在という位置づけが頷けます。一種の貴種流離譚ですね。だからこそ「ハック」の物語の方が冒険譚として有効なのだと思う。
 「まぬけのウィルソン」のトム(白人奴隷主の息子トマス・ア・ベケット・ブリスコル)は、混血の奴隷女性ロキシーによって彼女の息子チェンバースと取り換えられる。しかし23年後に事実が判明した時に、彼は黒人の言葉や身ぶりが身について新しい環境に馴染めず、かといって黒人の世界にも受け入れてもらえない、永遠の宙づり状態に置かれる。
 さて『王子と乞食』における3人目のトムは逆に王侯に憧れる乞食の少年なのが惜しい。貴種流離譚の主人公はエドワード王子で、この身分制度と人間の価値やアイデンティティーをめぐる物語は規範や社会のルールに取り込まれる形で終わってしまう。
 このトムがハック的なキャラクターだと、虚飾に満ちた王室の世界になど関心を持たずに、生き馬の目を抜くような世界を巧みに渡っていく。たまたまエドワード王子に乞われて一時的に身分を変えても、王子が王子に戻った後は、トムは嬉々として自分の世界に戻っていく。そんな感じだろうか。