司会なのに遅刻?!

 昨日は午後、アメリカ文学会の北海道支部の研究談話会があった。それなりに準備したのに遅刻してしまった。集まってくれた皆さんに申し訳ない。それとサングラスの替えを家にに忘れたので黒メガネのまま。でも談話回の発表はよかった。司会の報告を支部HP用に書いたので、ここに載せますね。
 今回の発表者である藤井光氏は北大大学院の博士課程を修了し、日本学術振興会特別研究員を経て、今年の4月から同志社大学文学部英文科で教鞭をとり始めた日本アメリカ文学会北海道支部の若手研究者のリーダー的な存在である。のみならず藤井氏はPaul Austerなど現代アメリカのポストモダン的作家の研究を中心として、アメリカ文学会の『アメリカ文学』(英文号)やアメリカにおける学会誌などにも論文が掲載され、全国レベルでも若手研究者の俊英として注目されている。
 さて今回の発表では、Steve Ericksonの作品を中心に、Los Angeles特有の時間”perpetual present”をLAの作家がどのように描いているかを分析した。まず”perpetual present”が過去と断絶して自己の再創造を実現する非歴史的時間である事を数点の文献から説明した。さらにLA文学の系譜と時間の表象について触れ、LA的時間を継承しつつもそれぞれの時間の観点から作品を発表している3人の作家の分析に進んだ。
 Kate BravermanのFrantic Transmission to and from Los Angeles(2006)では、Marilyn Monroeの架空インタビューで非連続的な変化の中でとらえられる現在において自己の再創造が語られているとする。
 次のSesshu FosterのAtomik Aztex(2005)においては、歴史改変を含むパラレル・ワールドが描かれている。アステカがスペイン人に滅ぼされず、かえってヨーロッパを征服しつつあるという1940年代の中で、アステカの軍事指導者が現代のLAの食肉工場で働いているアステカン人の夢を見る。語りの構造としては1940年代が現実であって悪夢における未来(=現代)が非現実だが、藤井氏は1940年代の世界は紛い物の過去であって、悪夢=現実を支えることはないとする。
 最後のエリクソンのOur Ecstatic Days(2005)では9/11に象徴されるカオスとしての21世紀がやはりパラレル・ワールドという構造の中で描かれる。KristineはLAに突如出現した湖の原因を探ろうとして、息子のKirkを残して水の中に飛び込む。しかし戻ってきたLAからカークは消えていた。クリスティンは名前を変えてカークを探し続け、物語の最後においては再会を果たす。テクストの構造も含めて、登場人物の名前の改編、定かではない変身等、複雑なエリクソンの世界を、藤井氏はLAを舞台とした21世紀のカオスとそこから脱出する秩序再生の物語として読み解く。
 ”perpetual present”の意味や出典についてフロアからの質問があり、藤井氏はLAの歴史や形成過程また他の都市との関わりなどから説明をされた。この発表の重要なテーマである時間について、Our Ecstatic Daysにおける現在と未来の描写に関する質問もあった。全体としては、藤井氏の明快でかつ問題意識の鋭い発表に対して活発な質疑がなされ、参加者にとって、そして10月の全国大会に向けて準備中の藤井氏にとっても実りの多い研究談話会であったと思う。
Kate BravermanのFrantic Transmission to and from Los Angeles