英文学史について

 昼は久しぶりに友人の店MITUYA-Cafeでお喋りとカレードリア。
 午後は藤女子大での講演に。講師は東大文学部の高橋和久先生。前英文学会会長の高橋先生とは水曜日に数人で飲んだのでした。この先生の酒席における洒脱な話しぶりが講演ではどうなのだろうという下世話な興味と、テーマについても関心があるので聞きに行きました。
 で講演でも、シャイなのか照れ隠しなのか韜晦なのか、酒席と同様の楽しい話しぶりでした。もちろん内容は真面目です。
 「英文学」という区分自体が、イギリス・スコットランドアイルランド(それにウェールズも)だけでなく、アメリカ・カナダ・オーストラリア、そして他の英語圏の国の文学も含むとなると、定義からして大変だ。
 それに「史」がつくと、疑似科学的に社会・歴史的なコンテキストから文学テクストを読まなくてはいけない。でも歴史的な年号の区切りがそのまま文学的区切りにならない。少なくとも社会の流れを先取りする場合と、社会の動きから一歩遅れて文学的成果として結実する場合とが考えられる。また歴史的な流れから孤立した傑作もあり得るし、文学史は難しい。
 と言う事は客観的な科学的な文学史を無理して目指さず、私的な個人的な文学史と断って自分の考える文学史(のようなもの)を語るしかないんですね。
高橋先生の訳した『めぐりあう時間たち