時間論のおさらい

 LA文学と時間表象に関する発表の司会をする準備をしている中で時間論をまた読み直しています。これって大学の卒論と修論でV・ウルフの作品を題材にして扱った時間論と関係する。時間論についてはいつか、最後に扱うテーマとしてとってあるが、全然取り組んでいない。
 発表では「永続する現在」という時間意識を持つLAに対して、それ継承しつつも、決して肯定しない方向性を目指しているとする。LAって歴史意識のない、つねに更新される現在を重要視する時間意識を持っている事だろうか。
 さて時間論の大枠は、3つくらい分類の方法がある。それは原始共同体における聖と俗の時間意識、そして近代における個と共同体の時間意識、最後のそれらをまとめた歴史的に見て考えられる4つの時間意識。
 まず4つに分類される時間意識についてみてみよう。原始共同体においては、日本も南米も西欧も中東も反復的な時間のとらえ方をしていた。そこでは始まりと終わりがあり、終末論的な考えもあるのだが、それがくり返されるという。
 それに対して、ヘレニズム、つまりギリシャは始まりに戻っていく円環する時間観念をもつ。オルフェウス教の輪廻転生も同様。
 それに対してヘブライユダヤ教およびキリスト教)は直進する、一回生の、不可逆な時間意識を持つ。そして近代の時間意識は、主として西欧のキリスト教を基盤とするもので、自然と人間、共同体と個との時空間における存在を考え続けてきた。
 それはベルグソンプルーストの著作にみられるような、持続する確かな時間(瞬間という名の現在)を求めながら、束縛する時間からの逃走を試みる。近代社会における個人は、その共同体からの疎外または虚無を埋めるために確かな時間を求めつつ、時間からも自由になろうとする、そのアンビバレンツとしてとらえられる(かな?)。
 やはり時間って難しい。この項続くかも?!